【マリーゴールド】増村貴宏「日本一のプロレス団体にできるようにサポートしたい」
1976年生まれ、専門学校卒業後、週刊ゴングに入社。2013年、スターダム入社。2024年4月、ロッシー小川氏が設立した「マリーゴールド」に参画。試合の写真撮影から会場設営、広報担当として様々な業務をこなす。 【写真】増村氏が撮影した7.13両国国技館、林下詩美 vs イヨ・スカイ ――増村さんがプロレス業界に入ったキッカケを教えてください。 増村:僕は最初、「週刊ゴング」のカメラマンとしてプロレス業界に入りました。ある時、試合会場でスクープ写真を激写。それがゴングの表紙を飾りました。 しかしその写真の対象者が気に入らなかったらしく、会社まで乗り込んできました。 あくまでもピンポイント撮影ではなく、「会場全体を撮影したら、たまたま映り込んでいた」と説明、事なきを得ました。 ――今の時代では信じられない事ですね。 増村:2007年に週刊ゴングは廃刊しますが(苦笑)。その後、いくら働いても給料が10万円以上にならない超ブラック企業に転職。 子供ができて、その給料では生活が厳しくなり退社。そして、2013年にスターダムのスタッフとして入りました。 ――この仕事をしていて、どんな時に喜びを感じますか? 増村:勝ち負けにかかわらずリング上で選手が輝いている時ですね。もちろん勝った選手にスポットは当たるんですが、負けた選手のインパクトが残っている時もあります。 何事も器用にすぐ出来る選手もいれば、なかなか出来ない選手もいます。 「不器用だから出来ない」と言って投げ出しては、永遠に形にならない。今は出来ないけど、努力していれば出来る日は必ず来ます。 それが自信になってモチベーションも上がり表情が変わるんです。それを見ると嬉しくなりますね。 ――逆にきついのはどんな時ですか? 増村:やっぱり車での移動ですね。前は北海道遠征のときに茨城県の大洗からフェリーで行くこともあったのですが、東京から仙台で一人乗せて、そのまま青森で一泊。翌日、フェリーで北海道入りとかありました。 一回台風が北上している時、東京から博多まで車移動したことがあります。最初、グッズを陸便で送って「みんな飛行機で行こう!」と。 しかし陸便が試合の開始時刻に間に合わないかもしれないという緊急事態になりました。 急遽「とりあえずハイエースで行こう」となり、深夜に出発。台風を避けつつ休み休み運転、3人で交代しながら約20時間くらいかかりました。 運転しない時も座席に固定された状態ですから、身体がバキバキでしたね(苦笑)。