ナチス犯罪、80年後の有罪なぜ? 1万505人殺害「支えた」当時18歳の女
公判初日にタクシーで逃亡
ホロコーストの歴史研究が進んだことも、犯罪追及に影響を与えた。ヒトラーなど一部のカリスマ的な権力者だけによる悪行ではなく、業務遂行能力に優れた役人らの存在なくして大量虐殺は起こりえなかったとの捉え方が広がった。 判例の変化もあった。収容所の看守に対する裁判で、犯罪行為と直接結び付く具体的な証拠がなくても、殺人を実行する組織の一員だと立証できれば十分だとする画期的な判決が2011年に出た。この判決が「全ての収容所を洗い直す始まり」(ナチス犯罪追及センター)となり、やがてフルヒナー被告が浮上した。 21年9月に始まったフルヒナー被告の公判は波乱の幕開けだった。被告は出廷初日、住んでいた高齢者施設から、タクシーで逃亡を図った。その日のうちに発見され、しばらく拘留された。
「そこにいたことを後悔」
フルヒナー被告の公判では米国、イスラエル、オーストラリアなどに住むシュツットホーフ収容所の生存者らが、ビデオリンクで次々と証言に立った。多くは当時10代で、劣悪な生活や過酷な労働、非人道的な扱い、親族の死を語った。 争点の一つは、収容所における大量殺人を認識していたか否か。フルヒナー被告を知る証人はおらず、本人は黙秘を続けた。裁判官は、被告の執務環境を確認するため、収容所跡地へ異例の現地訪問を行った。 弁護人は「証拠からは具体的な情報はほとんど得られなかった」と無罪を訴えた。22年12月の最終審理の日、裁判官から最後に言いたいことはないかと問われ、フルヒナー被告は沈黙を破った。「起こった全てのことを申し訳なく思うし、あの時まさにシュツットホーフにいたことを後悔している。それ以上は言えない」
「事務員の行為こそ根本的に重要」
同月、地裁は有罪判決を下した。被告は上層階にあった執務室からの眺めや日常的な敷地の行き来を通じ、「火葬場の煙突から毎日届く、人間の肉の焦げた臭いを知っていた」と認定。速記などの業務を通じて、殺人行為を知りつつも「熱心に職務に励み、主犯らを心理的に支えた」と結論付けた。 控訴審でも有罪は覆らなかった。連邦司法裁のツィレナー裁判長は判決で、戦後も元所長らと交際が続いたことなどから、「(被告は)信頼で結ばれた内輪に属し、殺害を含む全ての決定が行われた本当の中枢にいた」と指摘。「官僚制に基づく国家的殺人システムにとって、主犯の信頼を得ている唯一の事務員によるこの行為こそ、根本的に重要なものだった」と強調した。 歴史的な控訴審判決にフルヒナー被告は姿を見せなかった。立ち会ったのは、裁判長をはじめとする法曹関係者やマスコミ、学生ら、ナチスを直接知らない世代ばかりだった。「歴史は後に残ったものによって書かれる」ことを象徴する光景だった。