「俺は子どもの頃から大麻を育てていた」 ツアー引退を表明したロックスターのあまりに型破りな人生
大麻を栽培する少年
スティーヴンの自伝の翻訳は2012年に発行されている(『スティーヴン・タイラー自伝』スティーヴン・タイラー著/デイヴィッド・ダルトン構成/田中武人、岩木貴子、ラリー・フラムソン訳/ヤマハミュージックメディア刊)。その特徴は、あけすけなうえに話が頻繁に前後する点だ。時系列順になっていない。展開が飛ぶ。 日本語訳の奥付を見ると、翻訳者のほかに翻訳協力が8人もいて、作業の苦労がうかがえる。そして、その混乱の原因は、「薬」ではないか、と筆者は推察する。そのくらい、彼は薬に溺れ続けていた。 そのドラッグ遍歴は極めて長い。 スティーヴンは1948年にアメリカ、ニューヨークで生まれ、1970年にエアロスミスを結成。1973年に、アルバム『野獣生誕』でデビュー。 最初はバーで知り合ったウエイターの助手にドラッグを勧められた。そのときは断ったものの、好奇心が刺激された。しかし、子どもなのでドラッグを買うお金はない。そこで、なんと大麻の栽培を始める。 スティーヴンはニューヨークのブロンクスで生まれ育ったが、家族に見つからないように家から離れた場所にガールフレンドと種を蒔き、水を与えた。誰かに殺虫剤を撒かれてもめげずに育てた。 「余計なことしてくれるよな! (略)俺はめげずにせっせとハッパをちぎって吸ってハイになっていた」(『スティーヴン・タイラー自伝』より、以下同) 彼は育てた大麻をたばこ状に巻いて母親にも勧めていた。日本人には理解できない母子関係だ。 15歳あたりから60歳くらいまで、スティーヴンはキャリアのほとんどで、ラリッていた。スティーヴンが20歳前後のころ、ニューヨークのロングアイランドにキース・リチャーズとアニタ・パレンバーグが家を持っていた。そこで3人でコカインをやっていたことも自伝で語られている。
スタッフが次々消えていく
エアロスミスが世界的人気バンドとなり、アルバム『ロックス』『ドロー・ザ・ライン』……とヒット作が続くと、スティーヴンはいよいよドラッグなしではいられなくなる。 「俺たちがロケットならコカインは燃料だった。結局は墜落するんだが、あれだけ頑張れた理由の一つはコカインだ」(同) 彼らのライヴを観たことがある人はわかると思うが、スティーヴンは常にエキサイティングでエキセントリックで、ステージを駆け抜けるようなショーを展開する。 「俺たちは止まらなかった。とにかくツアーを駆け抜け、家に帰るとボロボロになってた。墜落して地面に落ち、脳は体に指令を送ろうとする。でも体は“非番”であることを分かっており、病気になることを選ぶ。バンドっていうのは、ツアー中は倒れない──それは許されないことなのだ」(同) 世界中をまわる長いツアーを乗り切るためには、ドラッグの力だろうが、使えるものはなんでも使う。バンドのフロントマンのスティーヴンが突っ走り続けるので、スタッフたちはボロボロになっていく。 1979年にはバンドのギタリストでソングライティングのパートナーでもあるジョー・ペリーとの関係も悪化。ジョーは去っていく。1984年に復帰するが、エアロスミスは約5年間片翼だけで飛ぶジェット機のような状態になった。