名乗れぬ不満「チャイニーズ・タイペイじゃない」 プレミア12、台湾主将の意思表示
24日に閉幕した野球の国際大会「プレミア12」は台湾が日本を破り、初優勝を飾った。台湾に栄冠をもたらす原動力となったのは陳傑憲。五回に日本の先発、戸郷翔征(巨人)から3ランを放った。大会通算打率は6割を超え、大会MVPにも選ばれた頼れる主将が会心の一打を放った直後に見せたパフォーマンスが、置かれた環境への鬱積した思いを抱える台湾で共感を呼んでいる。 【写真】台湾で「神様」として祀られる日本人 ■台湾のユニホームだけ表記なし 台湾のユニホームに違和感を抱かなかっただろうか。戸郷の直球を右翼席に運んだ陳は走塁時、強調するように両手の親指と人さし指を広げて胸元に額縁を描いた。本来、そこには「国名」が記されている。日本なら「JAPAN」、韓国なら「KOREA」といった具合にだ。台湾だけは空白のまま戦い、頂点に立った。 この行為は台湾で議論を呼んだ。25日凱旋(がいせん)した陳は意味を「私たちは台湾出身だということを伝えた。それが誇りだ」と説明した。台湾の報道によると、東京ドームでの決勝を観戦した与党・民主進歩党の議員はSNSに「泣きそうになった。(陳氏が指したのは)台湾だと誰でもわかる」と投稿したという。 「台湾」という名称は国際スポーツの世界で「市民権」を得ていない。今大会を主催した世界野球ソフトボール連盟(WBSC)だけでなく、国際オリンピック委員会(IOC)、国際サッカー連盟(FIFA)などの表記は「チャイニーズ・タイペイ」(中華台北)で統一されている。五輪で台湾の選手が金メダルを取った場合、「青天白日満地紅旗」ではなく台湾オリンピック委員会の旗が掲げられ、会場に流されるのは「五輪委員会歌」という台湾でもなじみが薄い曲。プレミア12でもユニホームの左胸にチャイニーズ・タイペイの略称である「CT」のワッペンだけが刺繍(ししゅう)された。 ■固定化した「名古屋決議」 背景にあるのは中国の「1つの中国」という基本方針だ。台湾は1972年ミュンヘン五輪まで「中華民国」の名称で大会に参加していた。米CNNによると、中国が外交的に攻勢を強める中、76年モントリオール五輪でジャスティン・トルドー現カナダ首相の父で当時首相だったピエール氏が中華民国での出場を認めないと通達し、台湾がボイコットして台湾退潮が決定的になった。 チャイニーズ・タイペイの名称が確定した会議は79年、名古屋で開かれた。「台湾が中国の一部である」としたい中国政府とIOCの交渉の結果、台湾は81年に名称変更の条件を受け入れ、84年ロサンゼルス五輪に出場した。地名を取って「名古屋決議」「LA方式」と呼ばれる。