選考委員全員に「これしかない」と言わしめた一作で薬剤師の愛野史香がデビュー 応募のきっかけや創作秘話を語る(レビュー)
薬剤師として働いている愛野史香さんが第16回角川春樹小説賞を受賞しデビューした。初めての小説賞応募で栄冠を掴んだ作品『あの日の風を描く』は、選考委員全員に「これしかない」と言わしめた一作だ。本作の魅力や創作の源泉を選考委員の一人、今村翔吾氏が迫る。
◆日本画の『復元模写』という世界に着目したきっかけ
――第16回角川春樹小説賞受賞、おめでとうございます。小説賞への応募は初めてだったそうですね。 愛野史香(以下、愛野) これまで一人で黙々と書いてきましたので、自分の作品がどう評価されるのか、そもそも読むに値するものなのかもわからず、まずは一度挑戦してみようという思いで応募しました。受賞はとても光栄に思っていますが、自分の小説を読んでもらえたという喜びのほうが勝っていたかもしれません。 今村翔吾(以下、今村) 一発で取ったんですね。僕が春樹賞をいただいたときはもうプロやったからな。落ちて学ぶことはたくさんあるけど、早いに越したことはない。どのくらい書いてこられたんですか? 愛野 二次創作を同人誌に書くことから始まって、その後は小説投稿サイトに発表してという感じで十年くらい書いていました。ただ、あくまでも趣味であって、作家になりたいと思っていたわけではないんです。 ――どんな心境の変化があったのでしょうか。 愛野 ネットは温かいコメントもいただきますが、思いもよらない言葉を書き込まれることもあって、ちょっと疲れてしまって。救急病院で薬剤師として働いていて、コロナ禍の多忙な時期に重なったこともあって、書くことから一旦離れました。環境を変えようと地元の佐賀に戻って落ち着いた時間を過ごすうちに、書きたいという気持ちが募り、小説家を目指す道もあるなと。今回の作品は長編として書き上げた二作目でした。 今村 二作目か。でもこれ、選考委員全員の票が入ったからね。候補作として読んだ時点でこれに決まるなと思った。後で聞いたら、春樹社長も北方謙三さんも今野敏さんもそう思ってたって。それくらい圧倒的でした。とりわけ僕は、物語を進める力があるなと。次に大きな変化があるぞあるぞと匂わせているわけではないんですよ。なのに、すーっと滑らかにページが捲れる。僕はV8エンジンでぶっ飛ばすタイプのリーダビリティやけど、愛野さんはプリウス……、いやテスラやな(笑)。それができるのはテーマが良いのと、それに沿った主人公の成長という小説の要諦、基本的なものがだいたい掴めているからだと思います。 ――日本絵画の「復元」を題材にしていますが、どんなことから着想を得たのでしょうか。 愛野 名古屋城を訪れた際に本丸御殿の障壁画を見て、これってどういう人が復元しているんだろうと思ったんですね。そこで初めて古典模写制作者という方がいることを知りました。どういう仕事なのかもっと知りたくて調べましたが情報があまりなく、小説で取り上げられた形跡もなかった。だったら私が書いてみようかなと。 今村 「復元模写」など美術に関する勉強は一から? 愛野 はい。まったく知識がなく、資料を集めて読んでというところから始めたので、読んだ方が理解できるように書くことができたのかと気になっていました。 今村 わかりやすかったですよ。どう絵が復元され、どんな絵になるのかもイメージできた。 ――主人公は美大に通う学生です。学校内の様子も描かれていますが、取材されたのですか? 愛野 京都を舞台にしたいと思い、参考になりそうな場所を巡っていたときに、ある美大でたまたまオープンキャンパスをやっていたんです。「入学希望です」と言って入り(笑)、いろいろ見ることができました。あとはYouTubeもかなり見ましたね。 今村 細かいところもよく書けていたと思う。むしろ気になったのは、俺は知ってたけど、なんでバンドの中に絵を描くやつがいんねんって。主人公は楽器をやるわけではなく、音楽に合わせて絵を描くだけ。それはリアリティがあるのかと、実際に選考会でも話題になった。 愛野 私もこういう設定が受け入れてもらえるのか気がかりではありました。 今村 今は音楽に合わせて書道もするしと、そんな話をしたら先生方も納得されたみたいだけど。それも含めてここ数年の春樹賞にはない感じではあるよね。時代小説が続いてきた中での久々の現代ものだし。でも、パーツは今っぽいんだけど、小説全体からは昭和味というか、古典的なものを感じるんよね、僕は。 愛野 恥ずかしい……。 今村 いや、誉めてんのよ。今は小説の形が崩れているというか、新しいスタイルがどんどん出てきている。擬音語だけで突っ走るとか、それこそ書く人もいろいろだし。そういう中にあってスタンダードをちゃんと押さえているということやから。