「決して言い訳せず、傷を負いながらもプレーした」ドミニクがコビーの勝利への執着心と飽くなき向上心に感銘「最もマイケルに近い選手だった」<DUNKSHOOT>
コビー・ブライアントは現役時代にロサンゼルス・レイカーズ一筋20年を貫き、数々の栄冠を手にした。その偉大さは周知の事実だが、殿堂入り選手のドミニク・ウィルキンス(元アトランタ・ホークスほか)が神様マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)に限りなく近かったと評価している。 【動画】レイカーズを勝利に導いてきたコビーのクラッチプレー集はこちら! アレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)やレイ・アレン(元ミルウォーキー・バックスほか)、スティーブ・ナッシュ(元フェニックス・サンズほか)らと同じ1996年のドラフトで、1巡目13位指名を受けてNBA入りしたコビーは、20年間で歴代15位の通算1346試合に出場し、歴代4位の通算3万3643得点をマーク。 リーグタイトルも3連覇(2000~02年)、2連覇(09~10年)と計5回手にし、06年には歴代2位の1試合81得点を奪取。ヘリコプター墜落事故で命を落とした2020年には数々の功績が認められ、バスケットボール殿堂入りが発表された。 コビーと言えば、2013年4月11日の試合で左足アキレス腱を断裂しながらコートに立ち続け、2本のフリースローを成功。復活後も脛骨プラトー骨折に見舞われるなど晩年はケガに苦しんだが、16年の現役ラストゲームとなったユタ・ジャズ戦では60得点を叩き出し、自らの引退に華を添えた。 「常に最高の自分になろうと努力を続けること」を追求するマインドは愛称の“ブラックマンバ”から“マンバ・メンタリティ”と呼ばれ、多くの現役選手に今なお受け継がれている。 1980年代を代表するスーパースターの1人だったレジェンドのウィルキンスは『SHOWTIME Basketball』の人気ポッドキャスト番組『All The Smoke』に出演した際、「コビーのプレーが好きだ。ニュースクール風にアレンジされたオールドスクールの再来だった」と回想した。 「私は彼(コビー)に『君のプレーは最高だった。決して言い訳せず、傷を負いながらもプレーした。私たちの最後の生き残りだ。君が去ったら、私たちの最後の1人が去ることになる』と伝えた。彼は『あなたからそう言ってもらえるのは本当に大きな意味がある。多くのレジェンドたちがそう言っていたから』と答えたんだ」 ウィルキンス自身も、32歳だった1992年に右足アキレス腱断裂という大ケガを負ったものの、10か月後に復活し、復帰戦でいきなり30得点をあげた。1992-93シーズンは71試合に出場し、ジョーダン(平均32.6点)に次ぐリ-グ2位の平均29.9点をマークする驚異的なパフォーマンスを見せた。 「私もコンペティターだった。どんなケガも私を阻むことはできなかった。9か月間、毎日2度の練習に励んだ。水中療法もやった。トレーニングキャンプでコートに打ち付けられて、アキレス腱を押さえたけど、痛みは全くなかった」 そんなウィルキンスも、コビーの勝利への執着心と飽くなき向上心には唸らざるを得なかった。 「彼(コビー)はゲームを学ぶことに貪欲だった。『君はどんなことがあってもプレーした。アキレス腱の状態が悪いにもかかわらずプレーした。誰もそんなことはしない』と彼に伝えた。私にとっては最もマイケル(ジョーダン)に近い選手だった。同意しない人もいるだろう。でも、2人が戦っている姿を見て、彼は『MJ2.0』だと思った」 ジョーダンとしのぎを削ったウィルキンスの目にも、コビーは“神様の正統後継者”と映っていたようだ。 構成●ダンクシュート編集部
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