W杯以来復帰のGK川島永嗣が代表を語る。「高みへの挑戦と情熱は何も変わらない」
「新しいチームとしての可能性を、外から見ていて感じました。正直、所属チームにおける自分の状況はずっと厳しいものだったし、自分は呼ばれる立場にないとも思っていた。その意味で焦りといったものもなかったし、自分の挑戦に集中すべきだと思っていました」 挑戦とは海外のリーグで日本人GKとして成功を収め、後進への道を切り開くこと。将来を見越してアルディージャ時代から語学を習得し、段階を踏んで所属チームを移り、青写真通りに2010年夏に川崎フロンターレからベルギーのリールセSKへ移籍した。 ヨーロッパの地ですでに9シーズンがすぎた。その間には所属チームがない時期も味わわされ、前所属のFCメスでは出場機会のない第3キーパーからレギュラーを奪取。日本代表でも復権を果たし、南アフリカ、ブラジル両大会に続いてロシア大会でも守護神を拝命した。 ピッチの内外で積み重ねてきた、他の日本人GKがもちあわせていない濃密な経験をキーパー歴の浅いシュミットや、キリンチャレンジカップとコパ・アメリカで初招集された東京五輪世代の19歳、大迫敬介(サンフレッチェ広島)へ伝えてほしい。伝道師的な役割も込めて、森保監督は岡崎慎司(レスター・シティ)とともに川島を復帰させた。 「プレーの面でチームに貢献してもらうのが第一だけれども、2人にはさまざまな経験をプレーやコミュニケーションを介して、若い選手たちに伝えていってもらえれば」 たとえば大迫が生まれた1999年を振り返れば、川島は埼玉県立浦和東高校の2年生だった。周囲から大学進学を勧められるなかで、Jリーガーとなる決意を固め始めた時期でもある。17歳のMF久保建英(FC東京)が生まれた2001年に至っては、アルディージャのルーキーだった。 「そう言われると、すごく年が離れている感じがするんですけど」 苦笑いを浮かべながらも、今シーズンからレギュラーをつかんだサンフレッチェで、ACLを含めた公式戦で6試合連続無失点を達成。成長曲線を急加速させ、フル代表入りをつかみ取った大迫から新たな刺激を受けているとも明かした。 「自分のチームでも17歳や18歳の選手と一緒にプレーしているし、その意味ではピッチの上では年齢差を感じることはないですね。一緒に練習をしてみて、大迫は自分が19歳のときより技術もしっかりしているし、やっていてすごく楽しいですよ」 フル代表に招集されながら、出場機会を得られなかった2000年代の後半。当時しのぎを削っていた川口能活、楢崎正剛の両レジェンドの一挙手一投足を必死になって注視した。炎の守護神と呼ばれた前者、冷静沈着な存在感を放った後者を融合させてきた日々をこんな言葉で表現したことがある。 「2人を見ていて、自分はどういうキーパーになればいいのか、というか、どういうキーパーになりたいのかという目標をもつことができた」 くしくも2人は昨シーズン限りで現役を引退した。時間の流れを物語るように、自らがかつての川口や楢崎と同じ立場として、フル代表のなかで立ち居振る舞うようになった。