お寺とホテルが一体化、大阪・ミナミ「三津寺」、築200年超の本堂を観光のチカラで修復、その背景と取り組みを住職に聞いてきた
大阪・ミナミの御堂筋沿いで2023年11月、お寺と一体化したホテル「カンデオホテルズ大阪心斎橋」が開業した。お寺は奈良時代の創建とされる「七宝山大福院 三津寺(しっぽうざんだいふくいん みつてら)」(真言宗)。築200年を超える本堂の修復費などの捻出に頭を悩ませていたが、お寺の土地の賃料収入に活路を見いだした。ホテルと連携した「絵写経」や「朝のお勤め」の体験プランは、宿泊客にも好評だという。
本堂の莫大な修復費に悩み
大阪メトロの心斎橋駅を出て、御堂筋を南に向かって歩くと、カンデオホテルズ大阪心斎橋と三津寺の入り口が見えてきた。近づくと、お香の良い香りがする。ホテルとお寺が入居するビルは高さ約60メートル、地下1階・地上15階建て。4階から上がホテルで、1~3階の吹き抜け空間に、ビルに包まれるようにしてお寺の本堂が建っている。なかなかインパクトのある光景だ。境内を、ホテルやお寺に出入りする人たちが行き交う。 三津寺の改築を祝う落慶法要に合わせて住職となった前住職の息子、加賀俊裕氏は言う。「建物の図面を見た時は、お堂(本堂)が屋根の中に入って圧迫感があるのかなと思いましたが、完成してみるとそんなことはなくて。お堂が守られているような力強さを感じますね」。 なぜこのようなユニークな構造のお寺、ホテルとなったのか。始まりは、歴史ある寺ならではの悩みだった。 三津寺は奈良時代744年に創建されたと伝えられている。本尊の十一面観世音菩薩のほか、薬師如来や弘法大師、愛染明王などをまつり、街の人々からは「ミナミの観音さん」「みってらさん」という愛称で親しまれてきた。 現在の本堂は、江戸時代の1808年に再建。堂内の天井には100を超える花卉(かき)図が描かれ、柱や彫刻は漆や金箔・色絵で彩られるなど、江戸末期のにぎやかな大阪のカラーが息づいている。大阪市内では珍しく、空襲の被害を免れた建物でもある。しかし、年月とともに建物は傷み、莫大な維持管理費がかかると見られていた。1933年に建てられた鉄筋3階建ての庫裏も、老朽化で建て替える必要性が出てきていた。 「これまでは檀信徒の皆さまの寄進によって修復してきましたが、人口減少が進む中、寄進に頼り続けるのは無理がある。前住職との間にも、檀信徒の皆さまにおんぶに抱っこのお寺ではいけないという共通認識がありました」と加賀氏。好立地ゆえに、何度も不動産会社から土地活用を持ちかけられたが、一度土地を貸してしまうと、お寺が活用したくなったタイミングで返してもらうのが難しいのではないかという不安があった。 前住職らと頭を悩ませる中で、近くにある真宗大谷派難波別院(南御堂)が土地の定期借地権を設定し、山門と一体化したホテルを建設することを知った。一定期間の定期借地権を設定すれば、土地は契約期間の終了後、更地にして返還される。定期的に得られる賃料収入を、建物の修復などに充てることも可能だ。前住職や加賀さんは檀信徒の幹部らとも相談し2019年、複数の不動産会社によるコンペを開催。事業主となったのが、東京建物だった。