日本で学びを続けるウクライナ人学生「祖国の復興に生かしたい」
■日本のウクライナ支援に驚き
――日本に来ることへ不安は? (筑波大学へ)申し込んだ時、受け入れてもらえると思っていませんでした。私のこれまでの勉強も日本やアジアへの関連は全くありません。だから受け入れが決まったとメールをもらった時、「え? 本当に日本に行くの?」と思いました。その時、初めて(日本行きについて)深く考えたのです。ただ日本に来る前、言語は問題にならないと思っていました。私は無邪気にも、日本の若者の多くは英語を理解すると想定していたからです。こんなに苦労するとは知りませんでした。日本に初めて着いた日、学生寮で母に電話し「帰るべきかも」と言ったほどです。今でも私の日本語は快適に暮らせるだけのレベルに達していませんが、日本の人々はとても親切だと思います。日本語が話せないからといった理由で助けてくれない日本人と会ったことはありません。言語は障壁ではあるかもしれませんが、克服できないものではないですね。
日本に来て2日目か3日目に入管施設へ行ったとき、(テレビの)ニュースでゼレンスキー大統領を見て「ええ?」と、とても不思議に思いました。日本はウクライナからとても遠い国ですが、日本の人々が私たちの国へ示す関心の高さにいまも感動します。日本がたくさんのウクライナ人を助けていることにびっくりしたのです。ヨーロッパの国であれば理解できますが、(遠く離れた)日本がいかに支援をしてくれたかに衝撃を受けましたし、1人のウクライナ人としてとてもうれしく思います。ただ、世界の状況は不安定で、他の国でも紛争が起きています。ある意味で、ウクライナはとても関心の高いトピックではなくなっていると感じています。人々が戦争のニュースについてうんざりすることは自然なことです。しかし、いつの日か、この戦争が続いているにもかかわらず、誰も気にしなくなる状況を恐れています。
■自らとウクライナの将来のために
博士号をとることはずっと考えていましたが、ウクライナでとるつもりでした。日本でとるなどとは考えたこともなかったです。私たちは元々、筑波大学で学ぶのは6か月だけと言われていました。しかしウクライナの状況が悪化し続け、プログラムが延長されたのです。みな、状況が落ち着くことを望んでいますが(戦争の終わりへの)少しの前進と後退を繰り返しています。家族も心配ですし、とても悲しいです。日本で学業を続けられるとは思っていなかったので、筑波大学には支援プログラムを延長し、(大学院に進学する)受験機会をあたえていただいたことを大変感謝しています。 (日本で学ぶことが)私や私の家族、さらにはウクライナの未来にとっても私ができる最善のことだと思います。戦争が終われば、多くの専門家がウクライナに戻り、国の復興を助けるでしょう。私は国際公共政策を学んでいますが、ウクライナの未来にとって、どのような政策が効果的で、どれを実施すべきかなど、政策という分野はとても重要です。特に戦後の復興など、私たちが日本から学べることはたくさんあります。だからこれは素晴らしい機会ですし、うまく終えられることを期待しています。博士号をとり、ウクライナの状況が落ち着いたら、帰国して日本で学んだことを生かしたいです。