ライオネス飛鳥『極悪女王』で自身を演じた剛力彩芽のプロ意識を称賛「あのシーンもすごいんですよ。本当にそっくりだったんです」
全女の創世記をつくったライオネス飛鳥が考える“しつけ”
──いまは、コンプライアンスなども厳しいので、全女のような上下関係を築くのも難しそうですよね。 「自分には1歳違いの姉がいるのですが、彼女が子育てしていたときに、子どもたちにはいっさい家事をやらせなかった。もともと私たちの家が母子家庭で、母が看護師で夜勤もあって忙しかったので、私たちは小さなころから、自分で洗濯をしたり、ご飯を作ったりと、身の回りのことを自分たちでしていたのですが、姉は自分たちがしたことを子どもにやらせたくなかったんです。 これは持論ですが、家の手伝いは絶対にやるべきだと思う。全女に入団したときも寮生活だったので、家事をやっていたことが役立った。家の手伝いって、家庭内ルールだし、大人社会へのルールの第一歩。なんでも親にしてもらうのは当たり前ではないって気づく。ドラマでの下積み時代のシーンを見て、若い人たちにそういうのも伝わると良いなって感じています」 ──付き人と言えば、後輩の北斗晶さんはよくお世話になった人として飛鳥さんの名前をあげていますね。 「付き人は、千種についている子もいて、私には宇野久子さん(北斗晶)がお世話してくれていました。水が飲みたいと言ったら買って来てくれたり、荷物を用意してくれたりと、身の回りの世話をしてくれていた。あとはセコンドについて、試合を見ていましたね。 新人は誰かの付き人であっても、基本的には全部の仕事もやらなければならないので大変。そのなかで、彼女は自分が言った何気ない言葉を覚えていてくれたりして、それを感謝してくれていたんです。当時は忙しかったので、自分は新人の世話をするよりも試合やほかのことに意識がいっていました。 私は人間の言葉の中で、“ありがとう”と“ごめんなさい”が一番大事だと思っている。誰かになにかをしてもらったら“ありがとう”。反対に悪いことをしたり、無理をさせたら“ごめんなさい”という。それだけは必ず継続して守ってきたので、彼女はそういう礼儀を感じ取ってくれていたのかなって思います」 当時の全女では、ほとんどの選手が中学卒業後に入団していた。まだ社会経験も乏しい10代が集まっていただけに、全女では3禁と呼ばれるルールなども存在していたという。 「10代でも大人の社会に入っていて、レスラーという職業を選んできているのなら、大人と同じ。ルールは必要だけれど、しつけはいらないと思う。しつけは親がやるべきだよね。 自分で親に話して、プロレスラーになることを選んだのなら、団体生活はルールも必要。上下関係があると、もちろんいろいろな規律が生まれてくる。どうしてもいじめって、しつけの延長線上に存在してしまう。しつけのつもりでやったことが、結局暴力をふるってしまうことになるケースがある。そう考えると、私はルールは絶対に必要だけれど、しつけは教えることはないって思いますね」 話を聞いていると、こちらの背筋も伸びそうなほど真摯(しんし)な態度だった。レスラー引退後の飛鳥さんは、異業種である飲食店の経営に奔走する日々だという。 ライオネス飛鳥 1963年7月28日生まれ、埼玉県出身。日本の元女子プロレスラー。1980年に全日本女子プロレス入団。同年5月にデビュー後は、リングネームをライオネス飛鳥に改め、長与千種とのタッグチーム『クラッシュギャルズ』で大ブレイクを果たす。全盛期には全日本ジュニア王座、全日本シングル王座を獲得。タレント活動としてはテレビドラマへの出演のほか、「炎の聖書」で歌手デビュー。人気絶頂のなか、1989年夏に現役を引退。引退後は、女子プロレスの解説やカーレースにも出場。1994年にはプロレスラーとして現役復帰。再び、人気を博した。しかし、度重なる怪我や病気により、2005年にふたたび現役を引退した。現在は、銀座に会員制スナック「gangs」を経営している。 池守りぜね
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