"茶色のおびただしい痕跡"は椅子の上に排泄した物…きっと自分で拭きたかった認知症義母の書道の腕は師範級
■義母に異変 それから10数年経った2013年の夏のこと。古道さんが40代の頃だ。 高校生になった古道さんの次女は、学校へ家の鍵を持っていくのを忘れ、パートに出ている古道さんが帰宅するのを義実家で待つことにした。義実家では81歳の義父がまだ、現役で陶器関係の仕事をしていた。その時、77歳になった義母は快く次女を家に入れてくれたものの、数分おきに「あんた、なんでここにおるの?」と訊ねる。その度に次女は、「家の鍵を忘れたから」と答えたが、何度も同じことを聞かれ、不思議に思った。 その数日後、義母は友だち数人と旅行へ行くために、待ち合わせ場所まで自分の車で行ったにもかかわらず、旅行から帰ってきた後、自分の車をどこに置いたかわからなくなり、パニックに。友だちの1人が古道さんに連絡をくれたため、夫が迎えに行ってことなきを得た。 同じ頃、実家から車で15分程度のところに嫁ぎ、週に2~3度は遊びにきていた義姉(古道さんの夫の姉)も、同じことを繰り返し話す義母の異変に気づき、義母を病院に連れて行った。すると、アルツハイマー型認知症と診断された。 それを聞いた古道さんは、「介護申請したら? 介護に詳しい人に今後のこととか聞いてみようか?」と夫に言う。 しかし夫は、「誰にも言わないでほしいし、介護申請もしない」と答えた。 「家族にとっては認めたくないという気持ちが強いみたいですね。もしくは息子と娘では現実の受け止め方が違うのかもしれません。夫は両親のことがを大事にしすぎるあまり、、いつも判断を間違えます。彼が下す判断は親の気持ちを考えて行動するため、おかしなことになるんです。以前、中国で『SARS』が流行った当時、義母は友だちたちと中国旅行を計画していました。私は『感染したら大変なことになる』と反対しましたが、夫は『今度いつ行けるかわからないから行かせてやりたい』と言いました。『感染して日本に持ち込んだら大迷惑やん。娘2人もいてるのに何を言うてんのや』と内心呆れましたが、旅行会社が中止にしてくれました。このときを境に、義両親が絡んだ夫の判断はすべておかしいと思うようにしています」 ただ、さすがに認知症と診断された人に車の運転はさせられないと、家族たちに促され、義母は運転免許を返納。 診断から2カ月ほど経った頃、認知症の診断を受けた病院から勧められ、ようやく介護認定を受けると、結果は要介護1だった。 ところが、認知症の診断を受けた後から、義母は坂道を転げ落ちるようにできないことが増えていった。会話が成り立たなくなり、徘徊が始まる。目を離すと、すぐに歩いて10分ほどの義母自身の弟の家(義母の実家)へ行ってしまうため、同居している81歳の義父が探し歩いたり連れ戻したりするため、どんどん疲弊していく。このままでは義父が先に倒れてしまうと思った古道さんの夫は、義母をデイサービスに週3回通わせることにした。 「義母は、子ども時代に戻っていて家に帰ろうとしているフシがありました。『あの頃の世界』に出かけているようでした。ただ、数分後にはその目的も忘れてしまうため、結局は徘徊扱いになってしまうんです」 翌年、要介護2になった義母は、週5日でデイサービスに通うようになった。