"茶色のおびただしい痕跡"は椅子の上に排泄した物…きっと自分で拭きたかった認知症義母の書道の腕は師範級
■女癖の悪い父親 そんな父親は、女癖も悪かったようだ。 「私が知っているだけで、父は2回不倫をしています。1回目は私が中学生の頃。当時の私は気付きませんでしたが、相手は私の同級生のお母さんでした。のちに母に聞いて知ったのですが、言われてみればそのお母さんは、隣に自分の夫がいるのに、私の父とベタベタしていたなと思いました」 2回目は古道さんが18歳の時。同じく相手の女性は子どもが3人いる母親だった。 古道さんが中学生の頃から不倫を繰り返し、仕事後に自宅に帰ってこなくなった父親に、母親は離婚を迫った。だが父親は「2年待ってくれ」と懇願。 ところが2年経っても父親は相変わらず家に寄り付かなかったため、古道さんが20歳の時に母親は離婚を決めた。 「父親の不倫のせいで家の中の雰囲気が悪かったので、私は就職をきっかけに一人暮らしを始めました。弟は高校生でしたし、母も自営業(クリーニングの代理店)を始めて軌道に乗り始めていましたから、父と別れても生活できる自信があったのでしょうね」 古道さんが16歳の時に代理店を始め、並行して洋裁の仕事も請け負っていた。 結果的に母親は夫婦で購入した一軒家に引っ越してからわずか5年で離婚。高2の弟とともに家を出た。父親は不倫相手と再婚し、その家で暮らし始めた。 ■結婚 高校を卒業した古道さんは、実家のある大阪の製造会社に就職。その2年後、同じ職場に東京から出向してきた4歳年上の男性と出会い、交際に発展。4年後に結婚したが、夫を父親に紹介する場を設けただけで、結婚式に父親は呼ばなかった。 結婚後、夫は勤めていた会社を退社し、古道さんも会社を辞めて夫の故郷である中部地方へ移住。夫の実家から車で5分程度の範囲に就職先も新居も決めると、新婚生活をスタートした。 1年後に長女を出産し、翌年次女を妊娠。次女出産後は、1歳になるのを待って、製造系の会社でパートとして働き始めた。 娘たちが乳児の間はなかなか大阪に帰省ができなかったが、幼児期に入るとときどき母親や父親に顔を見せに行くように。母親のクリーニングの代理店兼洋裁の店も、父親の印刷会社もうまくいっていた。