"茶色のおびただしい痕跡"は椅子の上に排泄した物…きっと自分で拭きたかった認知症義母の書道の腕は師範級
義母は77歳の頃から認知症の症状が出始めると、会話ができなくなり、徘徊を繰り返した。50代女性の夫は、高齢の両親が心配で、結婚を機に転職までして故郷に戻り、献身的にケアをするが、症状は進むばかりだった――。(前編/全2回) 【この記事の画像を見る】 ---------- この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。 ---------- ■賭け事が好きな父親 古道文子さん(50代・仮名)は現在、中部地方に住んでいる。戦中生まれの父親は中卒で福岡から大阪に出てきて印刷会社の職人として働いていた。製造系の会社に勤めていた母親が20歳くらいの頃に出会い、2人は結婚。 母親は24歳で古道さんを、27歳で弟を出産。貧しかった両親は、新しくできたばかりの市営住宅に申し込むと、当選。家族4人、2DKで暮らし始めた。 父親は職人として引き抜かれた会社で数年経験を積んだ後、営業を覚えるため転職。しかし古道さんが小4の時にその会社が倒産し、父親は家族全員を集め、こう言った。 「会社がなくなったので、自分で印刷会社を立ち上げる。仕事の拠点(事務所)が決まるまで、家に電話がかかってくるから、その時はポケベルでお父さんを呼び出してくれ」 古道さんたち姉弟は、電話を取るのも父親のポケベルを鳴らすのも面白くて、遊び感覚で父親に協力した。仕事も遊びも全力で取り組む父親は、子どもとの遊びも賭け事にして楽しんだ。 「トランプや花札など、必ずといっていいほど『10円持ってこい』とお金をかけて盛り上げます。少額とはいえ、お金をかけると本気になるし、負けるとすごく悔しかったです」 日曜日には子どもたちを近所の公園に連れ出してくれた。そこでも、ポケットに入っていたお金を取り出し、 「全部でいくらあるか当てたら全部やる」と言ったり、持ってきたボールを高く投げ「キャッチできたら100円やる」と言った。 「当時小学生だった私のお小遣いは1日50円ほどでしたので、ボールをキャッチするだけで2日分のお小遣いが入るわけです。でも、100円に胸を高鳴らせた私たち姉弟は、プレッシャーに負けてしまい誰もキャッチすることができませんでした」 母親によると、父親は新婚当初は麻雀にハマり、悪い人と付き合っていたこともあったという。