池波志乃「夫・中尾彬は、いつもと変わらない様子で逝ってしまった。彼が20年間毎日記録した食日記を元に、思い出の料理を作ったりもしたけれど」
◆いつもと変わらない様子で、眠るように 2024年に入ってから体調の悪い日は増えましたが、それでも自分で「できる」と思ったバラエティ番組の出演や講演などの依頼は受けていました。 本当は、最後まで役者の仕事がしたかったと思います。オファーもあったんですよ。興味を持った台本もあったようだけれど、読めば「この役は、こういうふうに演じたい」という思いが生まれる。そして、その演じ方ができない体力なら、お断りせざるをえない。 「中尾さんには、そこに立っていていただくだけでいいんです」と言ってくださる方もいたけれど、役者としてそれは絶対に嫌だったのね。 最後のほうは足腰が弱って外出に車いすを使うようになり、ベッドをリビングに設置して生活していました。「恰好悪いのは嫌だ」と言うから、木目調のリクライニングベッドを探してレンタルして(笑)。 立ち上がるとき支えたり、手を引いたり私も懸命に介助しましたが、車いすやベッドはあくまで補助的な意味合い。最後までトイレには自力で行き、決して私に世話はさせませんでしたね。 当然、食事の量も減っていましたが、亡くなる3日前までダイニングテーブルについて、私の作った料理をおいしそうに食べてくれました。最後は洋食系のメニューだったかな。 翌日は、知人が送ってくれたスイカをジュースにしました。旅先で好んでスイカジュースを頼んでいて、「なんで日本にはないんだ」ってよくぶつぶつ言っていたのよね。それを最後に飲んでもらえたのも、よかった。 容体が急変したのは、翌5月15日。主治医を呼び、痛み止めの処置をしてもらいましたが、16日の深夜、穏やかに、眠るように息を引き取りました。ゴールデンウィークまで仕事をしていたし、リハビリをしてまた旅に出ようと、12月に予約も入れていたんです。 だからあまりに急で、私に残してくれた言葉もなかった。でもいつもと変わらない様子で逝ってしまったのは見事というか、あの人らしい最期だったのかもしれません。