アマゾンのCMで注目 偉大な父をもつ、実力派俳優・北村有起哉の成長と葛藤
演出家たちから学んだ秘伝のタレ
それでも俳優になろうと決めた北村さんは、所属先を探した。 「まずおやじのいる劇団は除外して、それに近い新劇系の劇団も候補から消しました。とにかくおやじの目の届かないところはどこだって探したんですけど、やばい、おやじけっこう顔が広いぞって。だって、目の届くところにいたら、いい子にしてなきゃいけないじゃないですか。そんなの無理ですもん」 最初に日本映画学校(現日本映画大学)に入学したが、1年でやめた。 結局、劇団にも大手事務所にも所属せず、マネジメントを務めてくれた人とほぼ二人三脚で、オーディションを受けていった。父の磁場から逃れようとした北村さんは、結果として、演劇界を渡り歩くことになった。 「例えば、ケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)の脚本に惚れ込んで、劇団『ナイロン100℃』に入団した人とか、うらやましいなと思います。そういう出会いは自分で探さないとと思って、『ナイロン』や『大人計画』などいろんな劇団を見て歩いたんですけど、最終的に無理してどこかに所属する必要はないかなと思ったんですよね。自分の道で絶対やってやるという、根拠のない勢いみたいなものはそのころからありましたね」
1998年に、串田和美演出の舞台『春のめざめ』に出演。それを見ていた関係者から声がかかり、次の作品が決まった。以降、野田秀樹、蜷川幸雄、栗山民也、劇団☆新感線のいのうえひでのりなど、気鋭の演出家の作品に参加していった。 「演出家が異なると、要求されることが毎回バラバラですから、非常にスリリングな日々でした。それは、さまざまな技術や芝居に対する考え方を吸収するチャンスなんです。いずれ絶対武器になる。そうやって研鑽を積むうちに、自分なりに咀嚼していった気がします。今のぼくに、ぼくなりのオリジナリティーがあるとしたら、それはみなさんのエキスが入った、秘伝のタレみたいなものです。『これだけは絶対渡さないぞ』みたいなね。でも、今でこそ、きれいにまとめてお話しできますけど、当時は必死だったんじゃないですかね」