【冤罪事件】娘殺したとして20年間拘束された母「裁判官は人の人生を握っている」”検察側の主張を追認する『流れ作業』になっていないか” 国の責任認めない最高裁判決に悔しさにじませる【コメント全文】
■「警察、検察、司法が流れ作業になっていないか」と主張
【青木恵子さん】「しかし、警察のいい加減な捜査を判断するのは検察で、検察が正しく、本当に警察の調べたことが間違っていないかということをきちんと調べて起訴するかしないかを考えるところが検察と思うんです」 「それを何もしないで、警察が調べたことを流れ作業のように『そうですか、起訴しましょう』という流れ作業で起訴されて、起訴した人はいいですよ、所詮人のことだから。された方は人生狂わされて、家族の人生も狂わされて、長い長い戦いになっていくわけです」 「人の人生も左右する検察庁がいい加減なことで起訴していいのか、それを正さない限り冤罪はならくないし、あの人たちは今回、一審の時に和解の話も出ました、そのときに席につかない。自分たちが全く悪いと思ってない。冤罪を作っても反省もしないし、検証もしない。だから検証もしてほしいと」 「東住吉事件を教訓に検証して、どこが悪かったのか、自分たちの間違いは素直に謝る。小さい子供でも間違ったら誤りますよ。それを謝らない、そしてそれを平気で見ている組織。この組織がつぶれない限りいつまでも冤罪で苦しむ人たちがいなくならないし、どれだけ私が言ってもあの人たちには届かないですけど。こういう結果を最高裁が出したこと、裁判所もおかしい」 「最高裁といえば最後の砦と言われています。その砦が全く、再審で無罪になった人間が国賠訴訟している時点で間違っていたことは、明らかなんだから、それに対して最高裁がしっかり踏み込んで判断するのがトップのやることだと思います」 「これだったら、最高裁はなんのためにあるのだろうと思っているし、私は、最高裁は最後の砦じゃなく最後のとどめみたいに思っています。本当に許せない判決ですけど、私も最高裁のことは期待していませんでしたから、こんな結果になっても、初めは何とも思ってなかったですけど、段々、時間が経つと悔しい、怒りもあるし許せないという気持ちで、力も抜けましたけど。これで私は一区切り、裁判も1995年からある日突然捕まって、28年半の戦いが終わったので、これからは仲間のために、冤罪をなくすために自分の命ある限り戦っていきたいと思っています」