「普通の生活に戻れれば…」 能登半島地震から1年 それぞれの元日
いまだに避難所生活を余儀なくされる人にも、おせちが配られました。 「すごい!」 避難者: 「よかったです。年越しそばも食べられなくて、おせちも食べれなかったら悲しいけど、うれしいです」
地震直後は避難所になり、今はボランティアの拠点となっている穴水町の交流館。献花台が設けられ犠牲者を偲びました。 穴水町民: 「厳しい1年だった。家は潰れてしまうし、今仮設に住んでるけど寒いし我慢して生活している」 「おだやかな1年に、それだけやね」
一方、甚大な津波被害を受けた能登町白丸地区。 能登町民: 「生きていくのに精一杯です、今は。これから一歩ずつ歩むしかないですね」 「流された1年でした色々。地に足がついた年にしたいです」
液状化の被害を受けた内灘町でも、新年に願うことはなにげない日常でした。 内灘町民: 「家もみんな無くなったし、さみしい。隣近所また行ったり来たりできるような、そういう1年になって欲しいなと思います」
本来ならこの時期、多くの宿泊客でにぎわう七尾市の和倉温泉。休業中の旅館が多く、人通りはほとんどありません。 こちらの旅館は7月の営業再開に向け元日も準備を進めていました。 和倉温泉「はまづる」・高城 一博 専務: 「全部抜いてワンフロアにしてしまって、ここを遊べるスペースに改装する。お客様が楽しめるような感じに、せっかく直すんで」 営業再開にめどがついたものの思いは複雑です。 和倉温泉「はまづる」・高城 一博 専務: 「うちの旅館1軒がオープンしたから和倉温泉というわけじゃなくて、1軒1軒全部の旅館が揃って和倉温泉なんで。うちは早くオープンさせていただきますけど、みんなと一緒に開けたいっていうのが正直な気持ちです」
「号外です」 金沢などでは、地震から1年を迎えた被災地の動きを伝える特別号外も配布されました。 さまざまな思いで迎えたそれぞれの元日。 「能登の復興と、あと個人的には健康で家族仲良く過ごせたらいいなと思ってます」 「来年(高校)受験なので、勉強頑張りたいです。自分の志望校に向けて頑張ります」 ことしは「復興元年」に…。少しずつ歩みを進めます。