中村壱太郎&尾上右近 『京鹿子娘道成寺』 「こってり」と「さっぱり」、それぞれの白拍子花子を。【今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より】
クドキはあくまで“踊りの中のお芝居”
── さて独吟になり、「恋の手習い」で(花子が思いを掻き口説く)クドキになります。衣裳も藤色に変わり一気にしっとりとした雰囲気に変わりますが、ここは『娘道成寺』の中でもクライマックスのひとつでしょうか。 右近 ずっとウキウキした感じで地方さんにつないでもらっていたら、ここで急に雰囲気が変わる感じです。手拭いをくわえて正面を向いて極まるところで「あ、また違う部屋の扉が開いたな」って思うんだよね。 壱太郎 そのイメージ、いいね。この後の稽古はそれでいかせていただきます(笑)。 右近 報道番組みたいにテンション高く「さあ最初のニュースはこちらです!」「続いてはこちらです!」、「そして次にお届けするのは……」でトーン落として、「こ・ち・らです」って感じ。 壱太郎 うん、やはりそれでいきましょう。振付の藤間勘十郎ご宗家が、「ここは自分に酔っちゃうと曲と合わなくなるよ」と。歌舞伎の狂言の中には、独吟に乗せて男性の髪を結ったり、誰かを想って柱によりかかったりする「サワリ」という場面があるじゃないですか。あれとは違うよと。お芝居の中の踊りではなくて、踊りの中のお芝居。この感覚が大事だと思いますね。 右近 立役だと、熊谷(直実)にしろ(斎藤)実盛にしろ、「物語り」という箇所があるよね。踊りではないけれど身体を使って物語っている。『道成寺』は踊りながら身体全体を使って娘の恋心を語っているのかな。それとこれは僕の感覚だけど、これだけ長い踊りで、さらにいくつものパートがあるじゃないですか。だからどこかでしくじっても取り返せる、それくらいの気持ちで踊った方がいいのかなとも思います。 ── 家紋の染め抜かれた手拭いが生きているかのように動きます。 右近 あの手拭いは縮緬なんです。縮緬って結構重いんだけど、僕のは目が細かくて軽いんです。でもこれも皆さん違うよね。 壱太郎 長さも人によって違う。それに白地なので次に使う時には色褪せていたりするので、大体一公演で一本作るような感じです。 ── このクドキの花子、見た目は娘の姿なのに色香が凄いことになっていますよね。 右近 娘とはいってももう頭の中は大人なんじゃないかと。 壱太郎 江戸時代の娘だから今よりもっと大人なのかもね。 右近 人って相手によって見せる顔が違うじゃないですか。家族、仕事相手、恋人……。 恋人といる時はこういう顔をするんですよ、きっと。 ── 身体を反らすところは、体幹どうなっているんだろうと毎回思います。 右近 あそこも必ず手がくるところだけど、ちょっとだけ複雑な気持ちになるんです。「はい反ってます!」ということで手がきたのかなと思うと、花子としての心情が伝わっていなかったのかなと。拍手ってその時の空気を作るものだから、そこからまた自分の世界に戻りづらくなることも。もちろん拍手しないでくれというのではないですし、お客さまのせいじゃなくて自分のせいなんです。 ── 毬唄も花笠もこのクドキも、引っ込むときの雰囲気がまたいろいろですね。時代な感じだったり、娘らしく愛らしかったり。 右近 これも皆さんいろいろじゃないかな。壱さんはどうしてる? 壱太郎 あ、そこは考えてなかった。 右近 ぜひ今回はこってりとやってくださいよ。 壱太郎 となると目線の残し方が大事になってくるのかな。 右近 引っ込む直前で手拭いをお客さんに撒くじゃない? 僕としては、お客さんが手拭いに夢中になって、ふと見ると舞台にはもう花子はいない、という感じでやりたいな。気づいたときにはもうサーッといなくなってる。江戸っ子っぽくね。 ── あくまでさっぱりと。 右近 そうそう。「お礼言われるのなんて野暮だ」というのが江戸っ子らしいでしょ。直接拍手もらうのも何だか恥ずかしい。拍手しようかと思ったらもういない、「ざまあみやがれ」みたいなね(笑)。