蝶野正洋欠場&IWGPヘビー返上の非常事態に“救世主”永田裕志、名誉の討ち死に【週刊プロレス昔話】
1998年9月23日、新日本の横浜アリーナでおこなわれたIWGPヘビー級王座決定戦で永田裕志が奮闘した。 【写真】大雪の日に永田はGHCヘビー戴冠
時のIWGPヘビー王者だった蝶野正洋が椎間板脊髄症のため欠場。大会2日前の土壇場でベルト返上の緊急事態となり、名乗りを挙げたのが永田だった。 永田はスコット・ノートンとの王座決定戦に臨み奮闘、ベルト奪取はならなかったものの、その闘いは“名誉の討ち死に”とされた。永田は「ノートンも人間だから、0・1%のスキをついてでも勝ちたかった」と闘いを振り返り、悔しさをあらわにした。
週刊プロレス編集部