賀川浩さん通夜に100人参列 岡田武史氏「賀川さんだけが応援してくれた」 FIFA会長賞ライターに感謝と別れ
サッカーのワールドカップ(W杯)10大会取材の実績が評価され、2015年に日本人として初めて国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を受賞した元サンケイスポーツ編集局長(大阪)の賀川浩さん(享年99)の通夜が8日、兵庫・芦屋市内で営まれた。 【写真】「白寿を祝う会」で神戸FCのメンバーらと記念写真に納まる賀川浩さん 日本サッカー協会の田嶋幸三名誉会長(67)、元日本代表監督の岡田武史氏(68)、元Jリーグチェアマンの鬼武健二氏(85)、日本ハム元社長の大社啓二氏(68)、賀川氏が晩年を過ごした芦屋市の高島崚輔市長(27)ら関係者約100人が訪れた。 中学時代から親交のある岡田氏は「(昔の)日本代表で賀川さんに世話になってない選手なんていないですよ」と感謝の言葉を述べた。思い返したのは、イビチャ・オシム監督が病に倒れた後を引き継ぎ2度目の代表監督登板となった2010年南アフリカW杯前。「またお前か」と笑顔で迎えてくれた。大会前に結果が出ず猛批判を浴びた。 「賀川さんだけが応援してくれた。もう叩かれまくっているときに『お前の思う通りやりゃええやん』ってずっと言ってくれた。フランス(1998年W杯)でもそうだった」。賀川さんの言葉が支えになった。 神戸一中、神戸大でプレーした賀川氏は1952年、産経新聞社に入社後、日本サッカーの黎明期から取材した。90歳代でも取材、執筆を続けてFIFAから世界最年長ライターと紹介された。斎場には取材を通じて親交が深かった釜本邦茂氏(80)、セルジオ越後氏(79)、日本サッカー協会の宮本恒靖会長(47)、川淵三郎相談役(87)、大仁邦彌最高顧問(80)、Jリーグの野々村芳和チェアマン(52)、C大阪の森島寛晃社長(52)、元女子日本代表MF澤穂希さん(46)らから花が届いていた。サッカーライターの後輩も多く駆け付けて、最期の別れを惜しんだ。 賀川さんは5日、老衰のため神戸市内の病院で亡くなった。葬儀は近親者、関係者葬として営まれている。