独立から4年…地上波復帰し話題の手越祐也、恩人に感謝「絶対迎えに行くからって言ってくれた」
独立を選択して4年…理由、そして後悔は?
2002年、15歳の時にジャニーズ事務所に入所した手越。翌年、「NEWS」のメンバーとしてデビューした。その後、圧倒的な歌唱力とスター性で活躍するも、2020年、グループを脱退。32歳の時に独立の道を選んだ。 手越:僕は思ったことや浮かんだアイディアっていうのはすぐにやりたいっていう性格なので、(事務所にいると)上に確認して、その上がまた上に確認して、OKが出るのって、自分が浮かんだアイディアから半年、1年後~2年後っていうのは当たり前なんですよね。この浮かんだ頭の熱量のアイデアが1年後も熱いもの持ってられるかというと、もう持ってられないんですよね。その時まだ32歳だったので、世間からしたら32歳って若いかもしれないけど。アイドル、アーティストからしたら別に若くはないと俺は思っているので、このパワーと心と体のタフさといろんなものがあるときに次の人生に向かっていかないと。これが40歳、45歳になって独立ってそりゃ遅いし、そこからもう1回、自分の中ではもうこれ以上遅いタイミングはないな、ありえないなって、自分の人生設計を考えた時に思いましたね。やっぱもう20代とか10代のアイドルには絶対アイドルっていう部分じゃ勝てないんで、でも1個抜けてるものがなんかあれば問題はないと思いますけど。 ーー手越さん自身が突出しているのは何だと思いますか? 手越:知名度、ステージ上での存在感、ボーカルじゃないですかね。僕もし自分がそれを持ってなかったら絶対事務所辞めてないです。無理だと思って。独立ってそんな簡単なことじゃないっていうのも分かってたし。 残りの人生を考え独立した手越。その選択に後悔はなかったのか… 手越:「お前すげえプロダクションにいさせてもらったんだよ。感謝しろよ」って、改めて過去の自分には言いたいし、いかに事務所にいる人、いられた時が恵まれていたかって思いましたね。多分、独立する人の多分90%以上がしっかり、次の引き受け先とちゃんと移籍しても番組が継続できる確保と、準備万端でやめてると思うんですけど、僕の場合はゼロの状態で本当にやめたんで、そこから本当の周りの仲間、素人とかの仲間を集めての再出発だったので、最初はみんな分からないことだらけだったし。ファンクラブの作り方さえあんまり分からなかったし。でもどんなに最初はパワーがない人たちでも、真摯に直向きに周りの方への感謝1つ1つの仕事をその土俵がある場所があるということへの感謝を続けていれば、やっぱり僕はパフォーマンスに関しては1000%本物をやっている自信があるので、そこさえ見てもらえれば1回離れてしまった方だったり、新たな仲間が戻ってくるという自信はどこかにあったので。その積み重ねで今になっているという感じですかね。昔立ってた東京ドームにファンの人を連れてってあげたいなっていうのはあります。 独立してから、4年間で40曲以上の楽曲をリリース。さらに、XYへの加入も決定し活動の幅を広げている。 手越:フェスには出させてもらって、1年中歌っていますね。それ以外にいただいた番組のMCだったり、今年だったらいろんなバラエティーや、音楽番組に呼んでいただいているので、15歳から実際にテレビっていうものに育ててもらったっていう、恩は心の底から感じているので、もしまたテレビっていう業界に呼んでいただく未来が来るならそこには全力で恩返ししたいなってずっと思っていました。今年やっとそのテレビっていう業界に少しずつ恩返しをできるようになっていたので、多分2025年以降はそっちのお仕事というより俺はもう今まで15歳から育ててもらった本当恩返しをしに戻ると思っているので。なんかそういうものはまたさらに広がっていくんじゃないのかなと思いますけどね。