「ひと昔前だったらお仕事をもらえてなかっただろうなと思います」――バラエティーで引く手あまたの朝日奈央が辿り着いた答え
人気雑誌モデルからグループのアイドルへ
モデル活動を続けていくうえで、芸能事務所に所属することになり、アイドルグループのオーディションを受けることに。 「最初は『私には無理です!』と何度か断ったんですが、最終的にはせっかくのチャンスだからと受けさせてもらいました。なんとか受かったんですが、なんででしょうね(笑)。オーディションの時の映像を見ても、何であれで受かったのか、本当にわかんない。自信がないし、声も細くて」 朝日が所属することになった「アイドリング!!!」は、フジテレビの大きなバックアップのもとに生まれたグループだ。番組収録が毎日のようにあり、拘束時間も長く、学校とスタジオを往復する毎日。休みはほとんどなかったが、忙しいのが当たり前だと思っていた。 他のメンバーと比べても「粗削りだった」中学2年生の朝日は、収録のたびに打ちひしがれていた。 「初めてのことだらけで、できないことももちろん多かったからつらかったです。帰りの電車で、泣きながら帰るときもありました。でも、できないことは認めて、もう自分が単純に楽しんじゃおう、笑顔でいようと思ったら、吹っ切れたんです。たぶん私、生粋のアイドルだった可能性があるのかも(笑)」
「朝日がいると場の空気がやわらかくなる」
アイドリング!!!の同期たちが朝日について語っているのを聞いたことがある。彼女たちは一様に朝日のことを「いい子」だと評し、頬を緩ませた。 アイドル当時の朝日を知る番組ディレクターの森洋介氏は振り返る。 「一日に何本も収録するから、みんな疲れてるんです。時に機嫌が悪くなるけど、朝日がいると場の空気がやわらかくなる。現場の雰囲気が悪くなると『早く朝日呼んでこい』とか言って。僕たちは助かったけど、おそらく休めてなかったんじゃないかな」 なぜそこまで周囲のメンバーに愛されたのだろうか。 「なんでだろう。私がみんなに興味があったからでしょうか。やっぱり好きだったんです。ずっと一緒にいたのもあるし、家族みたいな存在だったんで」 嫌な思いをしたことがないとは言わない。だが、何かひどいことを言われたときは自分の胸に手を当てて立ち止まった。 「文句を言われた瞬間は確かに嫌な気持ちになったりするけど、改善しようと思っていました。相手から好かれたいとか別に考えてなかったな。ほんとに好きだったんです」 だが、愛するメンバーと過ごした濃密な時間もやがて終わりを迎える。2015年、グループの解散だ。 仕事は一気になくなった。解散の3年前に『ラブベリー』も休刊していたため、活動の軸足をどこにおけばいいのか悩んだ。同時期にデビューし肩を並べて番組に出ていたAKB48とは大きな差がついていた。 「不安になりました。いつもだったら仕事に行く時間でも何も予定がない。朝の太陽がまぶしくてね。1人で頑張れよって言われている気がしました」 それまで毎年あった季節ごとの大きなイベントがなくなり、生活のメリハリは失われた。「来年こそは売れるぞ」とメンバー同士で誓いを立てることもない。アイドルという肩書に守られ活動してきた自分が、この先どう立ち回ればいいのかわからなかった。 「ありがたいことに事務所が演技やギターレッスンをしてくれたんですけど、週に1回ギターを背負って事務所に向かう途中でため息をつくんです。『お前ほんとにそれやりたいのか』って」