”東大以上”の「海軍兵学校」で教える”究極のリーダーシップ本”、その「ヤバすぎる中身」を明かす…!
アコーディオン・カーテンのようなスコール
日本海軍では、海で遭難した場合の教訓として、「海水を飲むよりも自分の小便を飲め」 と、言い伝えられていた。幸い、最初の2日間は曇っていて、喉もあまり渇かなかった。3日目は朝からかんかん照りで、喉が渇いた。ところが、この日の午後には、真っ赤な血のような小便がでるようになった。あの真っ赤な小便を見ては、とても飲もうという気分にはならなかった。 日本海軍の言い伝えは、温帯地方の日本近海における話で、南洋の海域では適用できまい。幸いフィリピンの雨期で、一日に一回スコールがやってきた。私たちは、スコールを飲むことにした。二、三日も海で暮らしていると、スコールは遠方からでも、発見できるようになった。黒い短冊みたいなものが、空から海面まで垂れ下がっている。その短冊がアコーディオン・カーテンを開くように、パアーッと一面にひろがる。強い雨あしのため海面が白く光っている。 知恵者がいて、タオルをひろげて中央を口にくわえ、雨水をしゃぶる方法を思いつき、みんなも真似た。汗や油の臭いが鼻につくが、それは贅沢というものである。私たちは、甘露、甘露と有難く頂戴した。とにかく無我夢中で飲み続けた。
内乱用に使われかねなかった機銃
この時期、一つの問題点があった。 留式七・七ミリ機銃(海軍では機関銃を機銃と言った)一挺を、艇首においてあった。 反乱が起きて機銃を胸に向けられたら、短刀では太刀打ちできない。そこで私は、機銃を艇尾に移そうかと申し出たら、先任将校はこう言った。 「機銃は、艇首におけば外敵用だが、艇尾に移したら内乱用になってしまう。士官が4名に兵員は60名である。いざ反乱となったら、どうせ士官の命はない。現状どおり、艇首に置いておけ」 漕いでいる兵員が先にくたばるか、号令をかけている士官の胸板に先に風穴があくか分からなかった。それは神様だけがご存じだった。
毎日の情況判断の共有が反乱の未然防止に
先任将校の情況判断は、情報としての価値は、大きなものばかりではなく小さなものもあった。しかし、先任将校が、毎日毎日、情況判断をして兵員に伝えているその熱意と誠意とは、聞き入る兵員の心を次第に動かしていった。思えばこの短艇行は、酷暑の洋上で、食事も休養もとらずに、半月ほどカッターを 漕ぎつづけなければならなかった。明るい見通しもない洋上で、狭いカッターの中に、大勢の男が押し合いへし合いしていた。心理的にも反乱のもっとも起きやすい状況下で、反乱の起きないのが、むしろ不思議だった。反乱が起きなかったのは、先任将校が兵員に、積極的に情況判断を知らせていたことが、その一因だった。また、食糧の配分を、士官も兵員も同一量としていたことが、いまひとつの原因だったと思う。
潮書房光人新社