ウガンダ出身ボクサーが名古屋の小さなボクシングジムで夢見る“世界”…所得は日本の40分の1 荒れる祖国、源はハングリー精神
名古屋の小さなボクシングジムからちょっとしたムーブメントが起きようとしている。中日ジムのセムジュ・デビッド(32)が12月12日に日本ウエルター級の王座を初防衛した。昨年末に来日したばかりのウガンダ出身選手で、世界を夢見ている。 「名古屋から世界に出たい。そしてチャンピオンに」と話すデビッドは、東京五輪代表。母国出身のジョフレ ジェフ・イマさん(47)を頼ってやってきた。地元ボクシング関係者の間でジェフの愛称で親しまれる同ジムのトレーナーである。 「ボクシングの技術はいつも進化している。だからチェックを怠ると遅れてしまうんだよ」とジェフは言う。練習生指導の合間にはYouTubeなどで世界の試合チェックを怠らない。 アマチュアボクサーだったが、プロ経験はない。音響などエレクトロニクスをカレッジで学びラジオ局で働いていたが、ヘビー級の世界王者に挑戦した経験がある異母兄のオケロ・ピーター(緑)の勧めでトレーナーとして来日し、もう20年以上になる。 ジェフが祖国を離れるころ、カシミ・オウマというウガンダ人が世界王者になった。6歳のときに誘拐されて国民抵抗軍の兵士になり、強制的に大量虐殺の訓練を受けさせられた過去を持つ。そこでボクシングを学び、やがて脱走してアメリカで王者になった男で、その生き様は映画にもなった。国は荒れていた。 「日本では考えられないこと。でもあれは実話だよ。ウガンダは経済的には今も大変よ」 アフリカ東部にあるウガンダ。日本の本州くらいの国土に約4590万人が住む。世界銀行のデータでは1人当たり名目国民総所得はざっと日本の40分の1。出稼ぎとして海外に出るスポーツ選手も多く、サッカー、ボクシングに加え最近では日本の独立リーグに入団した野球選手もいる。東京五輪直前に代表から漏れた選手が仕事を求めて失踪した事件も記憶に新しい。デビッドも家族に仕送りをしており、ハングリー精神が源になっている。 ウガンダは金の産出国でもある。その話になるとジェフは「絶対に手を出しちゃだめ。増田(筆者)には紹介できない」と真顔で言われた。詐欺が横行しているらしい。彼との付き合いはかれこれ15年。金のビジネスに興味はないのだが、こんな感じで心配してくれるいいやつなのだ。 英語やスワヒリ語なども使いこなすが、ジムでの会話はほとんど日本語。最初は「もしもし」しか知らなかったそうだが、ジムの故織田秀樹会長が親身になって教えてくれたそうで今も感謝の気持ちは忘れていない。妹は弁護士で、頭のいい家系のようだ。 ところで日本で差別を受けたことはないのだろうか。そう聞くとジェフは言下に否定した。「ないよ。ただ、怖いと言われることはある。そんな時にはね、『どうして怖いの? 黒くても同じ人間よ』と言うの。そうすると、みんな、なあんだやさしいんだねって笑顔になるの」 デビッドは酒もたばこもやらない、もの静かな好青年である。強さだけでなく、ジェフからやさしさも学んでほしいと思う。 ▼増田護(ますだ・まもる)1957年生まれ。愛知県出身。中日新聞社に入社後は中日スポーツ記者としてプロ・アマ野球、大相撲などを担当し、五輪は4大会取材。中日スポーツ報道部長、月刊ドラゴンズ編集長を務めた。学生時代からボクシングを愛好しているが口だけで弱い。
中日スポーツ