「自分がワクワクする方へ」東京でのキャリアを手放し、長野県小海町で新たな挑戦をする女性が「住むのはどこでもいい」と語る理由
こだわりなく東京に住み続けることに違和感をもった
―移住のきっかけは何だったのでしょうか まず、小海町に絶対に来たかったわけではなく、たまたま知人に紹介してもらったのが「憩うまちこうみ事業」でした。コロナ禍で完全リモートワークになって、どこでも仕事できるならわざわざ東京にいなくてもいいかと思い始めたときのことです。事業のコンセプトに共感して、やってみようと思ったんです。 ―人生の中でも大きな決断だと思いますが、あっさりですね 日本全国の田舎を渡り歩いている友人がいて、その影響もあってちょうど田舎暮らしに憧れを抱き始めたタイミングでした。日本仕事百貨でライターをしている知り合いから「最近こんな求人記事を書いていて、恵理子ちゃんに向いていそうだけど、どう?」と連絡をもらって「いいじゃん、わたしに向いていそうじゃん」と思って応募したらとんとん拍子で小海町に行けることになりました。 前職に入社した当時は出社が必須で、東京にいなければ仕事ができなかっただけで、何かこだわりをもって東京に住んでいたわけではありませんでした。東京にはいろんなものがあるし、好きだけれども、居続けるだけの理由が仕事以外に見当たらなかったんです。社会人になってから、転勤や結婚で遠方に引っ越す友人も増えましたが、いざ距離が離れても会いたい人とは会っていました。その頃から、住む場所ってあまり重要じゃないなと感じるようになりました。 コロナ禍で自宅に引きこもってコミュニティが狭まっていく感じもすごく嫌でした。わたしはいろんな人と交流したい質で、たとえば地元の居酒屋に一人で入って行ってそこの常連の人たちと仲良くお酒を飲むのが趣味なんです。なので、リモートワークを強いられるくらいなら、東京で暮らすことにこだわりもなかったので住む場所を移した方が自然とコミュニティも広がるかもしれないという考えもあったと思います。 ―小海町に移住して、コミュニティは広がりましたか こっちに来てから2年間で、名刺を交換しただけでも300人以上はいます。気軽に連絡をとれる知り合いも何十人と増えました。 地域おこし協力隊は仕事とプライベートの境目があまりないんです。「憩うまちこうみ」事業を担いながらも、町で困っている人がいたらちょっと手伝ったり、自治会のお手伝いをしたりするとどんどん顔が広がって、気づいたら老若男女問わず知り合いがたくさん増えていました。