「聞こえない」ことではなかった!難聴の私と出会ったときに夫が受けた衝撃|VERY
──YouTubeでは「いつまでも新婚のように仲良し」とお義母さまにも突っ込まれていましたね。夫婦円満の秘訣はありますか? お互いがやりたいことを自由にやっているから……ですかね? 私自身、これまでもふらりと海外に一人旅に出かけたり、スノーボードにハマって山ごもりをしたりしてきました。英語も話せないのに家族でのアメリカ移住を提案したのも私です。夫のエピソードを話すときりがないのですが、次女を出産間近の臨月の頃に、一人でふらりと電波の届かない山奥にキャンプに行きたいと言い出したり、スケボーを抱えて保育園のお迎え時間に現れて保育士さんたちを驚かせたり。人によってはあり得ない! と感じるようなファンキーな行動も、私が無鉄砲なのでお互い様だなと思えてしまうんです。育児中の現在は思うようにいかないことも多いですが、二人とも好きなこと、やりたいことはなるべくがまんせず、家事も育児もできるほうが担当するというやり方が、私たち夫婦には合っているような気がします。
難病を患って生まれた長女。絶望したことも
──出産後すぐに、第一子に50万人に1人と言われる骨の難病があることが判明。そのことで毎日泣き崩れるほど追い詰められたそうですね。 当時は「自分の耳が聞こえない上に、子どもが難病なんて……」と、現実が受け入れられずにいました。でも、泣いてばかりの私に夫は、「どうすればいいか一緒に考えよう」と寄り添い、母も「私が育ててもいいんだよ」と励ましてくれました。二人の支えがなかったら、どうなっていたかわかりません。 ただ、今では長女の病気があったからこそ、私の人生はさらに好転したようにさえ思えるのです。あの頃は「この先、この子をどうやって育てればいいんだろう?」という先行きが見えない不安や、「難病の子を持った母親は、仕事を辞めて育児や療育に専念すべき」と思われているのではないかと気になったり、とにかく辛かったです。だからこそ、「自分のような思いをする人を少しでも減らしたい」と、難聴児とその家族をサポートする「デフサポ」という会社を起業するに至りました。 自分自身が聴覚障害者であること、また難病児の親であるという立場を活かして、障害や病気のあるお子さんやご家族をサポートする仕事に手ごたえとやりがいを感じています。正直、長女の病気がなければ、新卒で入った大好きな会社を辞めてまで起業する勇気は、私にはなかったように思うのです。