「聞こえない」ことではなかった!難聴の私と出会ったときに夫が受けた衝撃|VERY
家族と。娘の難病が起業のきっかけになりました ──育児にも前向きになれた心境の変化には、何かきっかけがあったのですか? 特別な何かがあったわけではないので、時間が解決してくれたのかもしれません。娘との日々のなかで自然と愛おしさが湧いてきて、同時に育児への不安も少しずつ軽減されていった気がします。その後も、長女が大きな手術に挑むたびに弱気になる私に、夫や母、義母までもが「大丈夫、なんとかなる」と言い続けてくれたのも心強かったです。
──聞こえないことでの育児の大変さもあったのでしょうか? そこは、「思っていた以上に大変だった」というのが本音です。子どもが泣いていても、姿が見えないと私には気付くことができませんし、子どもが喘息のときも普段とは違う呼吸音がわかりません。 日々の大変さは今もありますが、今年で10歳になった長女は、足の骨を伸ばす大手術とリハビリを乗り越え、ようやく日常生活ができるまでに成長しました。2歳差で生まれた次女は姉が大好きで、仲のよい姉妹に育ってくれています。私は人に誇れるような立派な母ではないし、この先もまだまだ何があるかわかりませんが、2人が楽しく過ごしている姿を見るのが、今は何よりも楽しみです。
\PROFILE/ 牧野 友香子(まきの ゆかこ)さん 1988年大阪府生まれ。生まれつき重度の聴覚障害がありながらも、幼少期から読唇術を身に付け、幼稚園から高校まで一般校に通う。神戸大学に進学し、卒業後は一般採用でソニー株式会社に入社。難病を持って生まれた第一子の出産をきっかけに、難聴児やその家族を支援する「株式会社デフサポ」を立ち上げると、YouTube チャンネル「デフサポちゃんねる」も話題に。2022年より夫と長女、次女と共に渡米し、現在はアメリカ在住。
『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA・1650円) 生まれながらに重度の聴覚障害がありながらも、持ち前のバイタリティと天性の明るさを武器に人生を切り開いてきた半生を綴ったエッセイ。思春期の葛藤や失敗談、運命の夫との結婚や難病を患って生まれた長女の育児、起業からアメリカ移住まで……。母になっても社長になっても、つねに全力で夢を追いかける“七転び八起き”な日々! 取材・文/小嶋美樹 撮影/光文社写真室