「タフなレースになればちょっと有利だと思う」パリ・オリンピックの出場権を得た小山直城は、どのようにして道を拓いてきたのか
過酷な状況下のMGCで優勝し、パリ・オリンピックの出場権を得た。彼はどのようにして道を拓いてきたのか?(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.879〈2024年5月9日発売〉より全文掲載) [画像]小山直城選手
みんなが強い選手。彼らの走りも見ていたし、厳しいレースになると思った。
昨年10月15日に開催された『MGC』(マラソングランドチャンピオンシップ)で優勝し、パリ・オリンピックの出場権を得た小山直城(ホンダ所属)。この大会で上位2位まではオリンピック行きが決まり、あとの1人はその後の選考レースと『MGC』3位とのタイムによって競われた。小山は、どのようにこの試合前の時間を過ごしていたのだろうか。 「レースをする東京には2日前に入りました。『MGC』にはホンダから3人出場したので、彼らとスタッフとウナギを食べて寝ました。このときは緊張は感じてなかったです」 翌日は、代々木公園でジョギング。60分で13kmほどを、彼にとってはごく軽く走った。このころから、レースに対して具体的に考え始める。 「気象条件も雨の予報だったので、10月にしては気温も低くてスローペースになると思っていました。記録よりも順位が大切ですから。だから、そのまま大集団でラストスパート合戦かなと予想していました」 記録的には小山を上回る選手は多い。今や日本で一番有名な長距離ランナー・大迫傑もその一人である。 「大迫選手には、トラック勝負になったら負けると思ったので40km過ぎ、ラスト2kmぐらいから仕掛けなければいけないと考えていました。他の選手もみんな強いですし、持ちタイムもわかっている。ゼッケン番号が若ければ若いほどいい記録を持っていて、その人たちの走りも常に見ていましたから、自分には厳しいレースになるとは思っていました」 代々木公園のジョグの後、食事をして2時間の昼寝。翌日の本番は朝8時スタートなので、逆算して夕食を4時半に摂り、夜8時には眠りについた。翌朝、起きると東京は予報通り雨。スタート前の7時45分の時点で、気温は17.5度だった。