「涙は出なかったです」箱根駅伝で“伝説の17人抜き”…東海大・村澤明伸が明かす「12年前の悪夢」 大エース擁した名門が“40年ぶり”予選落ちのナゼ
青学大の連覇で幕を閉じた101回目の箱根駅伝。一方で、その舞台に箱根路の常連である“湘南の暴れん坊”東海大の姿はなかった。昨秋の予選会でアクシデントもあり、まさかの予選落ちを喫したからだ。実はその12年前、最後に同じ悔しさを味わったのは、あの“17人抜き”の伝説のエースが主将を務めた年でもあった。33歳になった本人が振り返る、かつての記憶とは。《NumberWebインタビュー全3回の1回目/つづきを読む》 【貴重写真】あの2011年箱根駅伝2区「伝説の17人抜き」が写真で甦る…「全然変わってない!」33歳になった“ごぼう抜き男”村澤明伸の現在も写真で見る(30枚超) 続きがあるはずの道が、一瞬で見えなくなった。 あの日、東海大の4年生である村澤明伸(現SGホールディングス)は、立川昭和記念公園内の原っぱで呆然と立ち尽くしていた。 「涙は出なかったです。おそらく、よくわかっていなかったんだろうと思います。現実がすぐには飲み込めなかったんでしょうね」 2012年10月20日、第89回箱根駅伝出場をかけた予選会で、東海大は12位。本戦出場が決まる上位9校に入れず、予選落ちが決まった。これまで40年連続でつないできた襷が、ついに途切れた瞬間でもあった。
「走らなかったのが良かったのか…」答えは未だ出ず
エースであり、主将でもあった村澤は、ケガの影響でスタートラインにすら立てなかった。最後の箱根駅伝は、走る前に終わってしまったのだ。 あれからすでに一回りほどの歳月が流れたが、村澤はまだ答えを探しあぐねているようだった。 「ああいう結果になって、自分が走らなかったのが良かったのか、良くなかったのか。あれがあったから今があるって風に思いたくてやってきましたけど、まだその答えは出せていないような気がします」 村澤にとって、そもそも箱根駅伝とはどのような存在だったのか。 デビューは鮮烈だった。1年生ながらエース区間の2区を任されると、いきなり10人抜き区間2位の快走でファンの度肝を抜いた。さらに2年生になると、村澤は圧巻の走りを披露する。最下位で襷を受け取ると、前を行くランナーを導火線にして、まるで爆ぜるような走りを見せた。ケニア人留学生を含め、なんと17人をごぼう抜き。区間歴代4位の好記録(当時、1時間6分52秒)で区間賞を獲得したのだ。 3年時も同じ2区で4人抜き区間3位と好走したが、それすらかげが薄いのはこの2年目の爆走があまりにも衝撃的だったからだろう。 あの当時、村澤はこんな思いで箱根路を駆けていたという。 「プレッシャーというのが全然なくて、もう単純にどこまで行けるんだろうって。とくに下級生の頃は箱根駅伝も個人戦に近い感覚と言いますか、もちろんチームとしての目標もあったんですけど、それよりも自分に与えてもらった区間でどんな走りをするか、そこに重きを置いていたような気がします」 佐久長聖高の頃から、村澤は世界ユース選手権や世界クロカンなど、国際大会でも活躍をしてきた。大学2年の夏は世界ジュニア選手権に出場して、5000mで8位入賞を果たしている。国内の大会にとどまらず、世界を相手にどこまで行けるのか、そんなワクワクした思いが走ることの原動力だった。
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