「土砂崩れで生き埋めになっていて」プロ防災家の人生を変えた90歳女性の救出体験
防災の知識を深めようと近年増加している防災士。しかし、日本でただひとり、「防災家」とうたう方がいる。『世界一受けたい授業』(日本テレビ)の防災スペシャリストの先生としても知られる野村功次郎さんである。 ▶︎すべての写真を見る 23年間、消防士としてキャリアを積み、阪神淡路大震災をはじめとする数多くの災害現場で活動してきたが、ある高齢女性との出会いがその後の職業観・人生観に影響を与えたという。 今回は消防士時代、野村さんの人生のターニングポイントとなったライフストーリーをお届けしたい。
仮死状態で生まれ学校にも通えず、親孝行で消防士に
地元・広島県呉市で1991年から23年間、消防士としての経験を積んできた野村さん。レスキュー隊としても災害現場で数多く救助活動をしてきたが、この仕事に就いたのは自身の生い立ちも関係している。 野村さんは仮死状態で生まれ、身体も弱く、学校にもまともに通えなかったという。 「僕は生まれてから70秒間、血が巡らず、息もしていない状態でした。その後遺症で発達にも障害があり、学生時代は同級生に笑われ、馬鹿にされ続けました。成長するにつれ、歩くのも困難になり、中学時代はほとんど入院していて、学校は半分行ってないようなもの。高校もかろうじて定時制に進学しました。 母親はこんな僕を産んだ自分を責めていました。世間からの目もあって、当時から何か見返したいという気持ちがありましたね」。
子供の頃から芸能界に興味があったという野村さん。実は高校時代にスカウトされ、東京でタレント活動をしていた。そんな彼が消防士を目指すキッカケとなったのは、病床の父親の遺言だった。 「高校1年生のときに2度目の足の手術をし、毎日リハビリと筋トレをこなして、なんとか人並みの人体機能には回復していました。父が倒れたのは3年生のとき。そこで『警察官や消防官の道に行ってほしい』と遺言のように言われました」。
その言葉を胸に地元の広島へ戻ったが、当初は字も読めない、計算もできない状況だったという。独学で猛勉強したすえ、警察官に消防官、刑務官、海上保安学校と、ひと通りの採用試験を受け、見事にすべて合格。両親の近くにいるため、転勤のない消防士を選んだ。 学業はもちろん、人並み以上の運動力が必要とされる消防士になるには、血の滲むような努力をしたことだろう。