フィリピンに飛んだ親父が人身売買のブローカーに!? 豪邸には十数名の現地女性たちがいて…「ぼくは『幸せ配達人』なんだよね」
底辺漫画家 超ヤバ実話 #3
漫画家・谷村ひとし氏のアシスタントを突然クビになった近藤令さん。そこで離婚してフィリピンにいる父を訪ねてみると、そこはハーレムだった!? 【画像】フィリピンで再会した親父は、まさに「変なおじさん」だった 怪しい仕事をしている父親とのエピソードを『底辺漫画家 超ヤバ実話』(青志社)より、一部抜粋、再構成してお届けする。
アロハシャツを着た「変なおじさん」
実は谷村先生のアシスタントをクビになった後に一度、親父とは再会しているんです。そのときも、綾子叔母さんから「お父さんが会いたがってるよ」って聞いて、「え? 親父、生きてるの?」みたいな感じもあって。 しかも、話を聞いたら、フィリピンにいるっていうから、一体そこでなにをしてんだろうって頭が真っ白になった。もう何がなんだか、わからないまま、初めてのフィリピンへ単身で向かったんです。 当時のフィリピンは、あまり治安がよくありませんでした。マニラに限って言えば、今もマカティなど、ごく一部の地域を除き、マニラ全域で十分危険だと言えるでしょう。バックパッカーの一人旅は男性でもお勧めできません。1989年の12月には軍部のクーデターが起きたりして、とりわけ国中が騒然としていた時期です。 まず、空港の税関を出るなり、「な、なんだ、これは!」というムッとするような湿気と高温で、汗がダラダラと流れ落ちてくる。今ではマニラより東京の夏の方が気温が高かったりして話題になったりするけれど、初めてのマニラで思い出すのは、まず熱帯特有の蒸せるような空気ですね。 「ここはもう日本じゃないんだ」という本能が自ずと働く。それに、空港ロビーには見るからに怪しいというか危なっかしい人たちがウジャウジャいる。ちょっとでも気を抜くと、盗難や拉致などの事件に巻き込まれそうな雰囲気で、緊張で身体はガチガチでした。 で、そんな中、空港ロビーでオドオド、キョロキョロしていたら、なにか面影があるような無いような、アロハシャツを着た「変なおじさん」がこっちを見てるんですよ。まさかと思って、近づいたら……まさに、それが親父でした。