恐竜グループ分けが変わる?進化枝分かれの新仮説にみる“系統樹”の意義
系統樹におけるモザイク状の進化プロセス?
生物進化において、進化とは枝分かれのように、生物種が時間を経つごとに派生し、そして絶滅した。全ての生物種ももとをたどれば「オリジン」としての共通の祖先にたどり着く。この生物進化におけるコンセプトを最初にサイエンス的に認識そして確立したのはチャールズ・ダーウィンだろう。(特に1871年に発表した「The Descent of Man」における。) このシンプルな系統樹におけるコンセプト ── いわゆる「ツリー・オブ・ライフ(Tree of life)」 ── は、生物種進化の関係を表現する際、現在非常によく使われる。しかし研究者にとってこの系統樹の復元、具体的にどのように枝分かれが起こり、一つのひとつの枝にどの種が含まれているのか、そして大きな枝を木全体のどこに位置づけるのかは、なかなか簡単な作業ではない。現在の生物種だけで何億種も存在することを今一度思い出していただきたい。 そのための具体的な手法は、1950年代にドイツの昆虫学者(ヴィリー・ヘニッヒ)によって考案された。(何百何千とある虫の種の複雑な進化関係を探る必要があった。)この手法「分岐分類学(=cladistics)」はすぐに他のさまざまな現生の生物グループへと応用されることになる。 恐竜を含む化石グループにも広く使われだしたのは1980年代に入ってからだ。(注:この頃になるとコンピューターを元にしたプログラムも確立され、膨大なデータを分析することも可能になっていた。)全ての恐竜は共通の祖先から進化したというアイデアも、科学的なデータとともに初めて検証されはじめた。先述した鳥盤目と竜盤目という19世紀に提案されたアイデアも、たくさんの化石種・標本をもとにしたデータによって検証されてきた。鳥盤目と竜盤目という両の車輪で、(先週まで)古生物学者は満足のはずだった。
木をみて森を見ず?進化系統樹の意義
さて私の化石種(竜脚類や白亜紀の海生爬虫類など)における分岐分類学の解析を行った経験によると、こうした系統樹における違いは、ほんのわずかなデータの内わけによって起こることがある。(時に比較的容易に起こる可能性もある。)分析する種の数をいくつか増やしたり、減らしてみる。またわずかの数の解剖学的特徴や内容の違いによって、結果としての系統樹に大きな違いが出てくることがある。(注:こうしたデータを取り入れたり、はずす作業は、研究者の主観や好み、思い込みなどがいくらかどうしても混じってくるようだ。) そして初期恐竜の化石標本やデータは、まだかなり限られているという事実は、やはり意味深長だ。かなり詳しいことまで知るには、今のところ限界があるのだ。 もし初期恐竜の出現に伴う一連の体のデザインにおける斬新な変化(=大進化)が、比較的短期間に起きたとすれば、その詳細な進化プロセスは、はっきりつかむことが難しいはずだ。こうした事実を踏まえると、今回の新たな系統樹における仮説が出されても、(私個人的には)特に驚くべきことではない印象を受ける。 進化の詳細なプロセスのほうがより興味深いと感じるのは私だけだろうか。枝の交わり具合の差にあまり気をとられすぎると、生物進化の本質を見落とすかもしれない。 「木をみて森を見ず」という表現は、進化系統樹を考察する際、実に的を得ていると言えそうだ。