エドヴァルド・ムンクの名言「わたしの絵は告白である。」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。ノルウェーを代表する画家として、世界に名を馳せるエドヴァルド・ムンク。多くの不運に見舞われながらも、画家としての生涯を貫き通したムンクにとって、「絵を描く」ことの意味とは。 【フォトギャラリーを見る】 わたしの絵は告白である。 『叫び』。エドヴァルド・ムンクの名を聞いてほとんどの人が思い浮かべるのは、おそらくこの絵に違いない。血管を流れる血のように鮮やかな朱色に塗られた空、ぐにゃりと歪んだ暗い背景、その中央で何かに悶絶するかのごとく顔をよじらせる人……。この作品であまりに有名なムンクだが、手がけた作品は数万点以上。風景画から人物画、油画や版画と表現はさまざまだが、その背景にあるのは、生涯を通じてムンクに襲いかかった「死」や「不安」の感情だった。 エドヴァルド・ムンクがはじめて「死」を実感したのは、5歳の誕生日を迎えた直後に起きた母、ラウラ・カトリーネの病死だった。ラウラの死後、父のクリスティアン・ムンクは狂信的なほど宗教にのめり込み、夜な夜な寝室で祈り続ける父に衝撃を受けたムンクは、その姿をスケッチにおさめることで心を落ち着かせていた。しかし、母の死から10年も経たないうちに、最愛の姉も結核でこの世を去る。自身も病弱で、幼い頃から心身ともに傷を負ったムンク。10代から瞬く間に開花した絵の才能とは裏腹に、彼の画家人生のはじまりは、あまりに痛ましいものだった。 美術学校を卒業後、ムンクは26歳で地元ノルウェーで個展の開催を果たす。当時のノルウェーでは個展というもの自体がはじめての試み。それを機にムンクは本格的に美術界へ踏み入れることになり、パリへの留学を決める。しかし、その直後に待ちうけていたのは、父の死。さらには妹が精神病にかかり、弟を肺炎で亡くす。やがて自分自身もアルコール中毒や鬱に悩まされることになるムンク。満身創痍のなか、唯一の拠り所となったのは「絵」にほかならなかった。 「わたしの絵は告白である。絵を通じて、わたしは世界との関わりを明らかにしようと試みる。これを自己本位と呼ぶひともあるかもしれない。しかしわかしはかねがね、わたしの絵はほかの人びとにとっても、自らの真実を求める道筋を明らかにする一助となると考えてきた」 次々と降りかかる耐え難い苦悩を描くことで乗り越えたムンク。暗くも力強い絵には、死や不安にかき立てられながらも生きることを諦めなかったムンクの包み隠しのない感情が溢れ出ている。
エドヴァルド・ムンク
1863年、ノルウェー生まれ。画家。1880年に王立美術学校に入学。84年、前衛芸術家集団「クリスチャニア・ボヘミアン」と知り合い、その時の経験が以後ののムンクの表現の核となる。1889年に初の個展を開催後、パリへ留学。92年には2度目となる個展を開催し、代表的な連作「生命のフリーズ」を発表する。翌年には、連作のうちのひとつとして『叫び』を描く。1908年には精神病を患い、コペンハーゲンの精神病院で療養。晩年はノルウェー・オスロの郊外に暮らし、制作活動を続ける。1944年、80歳で逝去。
photo_Yuki Sonoyama text_Kentaro Wada illustration_Yoshifumi ...