ヴェルサイユ条約で軍備を制限されたドイツが、こっそり研究開発していた「10.5cm榴弾砲leFH18」
歩兵支援から対戦車戦闘までマルチに活躍 第一次大戦に敗北したドイツは、戦勝国が課した戦後処理のヴェルサイユ条約により近代的軍備の保有を厳しく制限された。しかし1935年3月16日、ヒトラーは同条約の軍事制限条項を破棄するドイツ再軍備宣言を表明。その結果、それまでドイツが秘密裡に研究開発していた「ご禁制」の兵器が一気に戦力化された。 10.5cm榴弾砲leFH18もそのうちのひとつで、名門鉄鋼メーカーであるラインメタル社が開発し、1935年に制式採用されている。 当初は輓馬(ばんば)牽引を主体に低速での牽引が考えられていたため、車軸にサスペンションが備えられておらず、後にSd.Kfz.11ハーフトラックでの牽引が行われるようになると、不整地での牽引速度に制限がかけられた。しかし1942年3月から生産が始まった10.5cm leFH 18/40には7.5cm対戦車砲の砲架の改修型が採用されており、サスペンションが備わっているため牽引速度が向上している。 leFH18はアメリカの105mm榴弾砲M2A1、イギリスの25ポンド砲と並ぶ典型的な軽榴弾砲で、師団砲兵の主力を担った。そのため独ソ戦開始後の一時期、T34やKVといったソ連の強力な戦車の前に、当時の主力だった3.7cm対戦車砲が全く通用しなくなった際、切り札的な火砲として、8.8cm高射砲とともに本来の用途ではない対戦車戦闘に投入されることもしばしばだった。 leFH18の徹甲榴弾を使った水平射撃は、T34の撃破は容易だったものの、重装甲を誇るKVはさすがにいつも撃破できるという訳ではなかった。しかし撃破できずとも大口径砲弾の衝撃力で兵装や機器の故障を促し、とりあえずその戦闘から排除することは可能だった。 このように、leFH18はさまざまな状況での運用が考慮されていたので弾種は豊富で、特に対装甲用の徹甲榴弾や成形炸薬弾は重用された。 手頃なサイズで性能も良好だったため、leFH18は車載砲にも流用された。 まず、旧式化したII号戦車の車体後部にオープントップの戦闘室を設け、そこに野砲型のleFH18を搭載した軽自走榴弾砲ヴェスぺが造られている。 また、優秀なIII号突撃砲の車体に、leFH18の車載型である10.5cmStuH42を搭載した10.5cm突撃榴弾砲42も生産され、オリジナルのIII号突撃砲の7.5cm砲よりも強力な榴弾と、各種の対戦車弾を使用することにより、歩兵支援と対戦車戦闘に活躍している。 なお、leFH18は第二次大戦終結後もユーゴスラヴィアやチェコスロヴァキアなどでしばらく使用された。
白石 光