「お金を稼ぐ人間が偉い」そんな偏見が捨てられなかった私。仕事を離れ異国での子育てを選択した夫に思うこと【小島慶子】
大学1年の時に、初めて恋人ができた。大手企業に就職が内定している先輩だった。世間知らずだったので、これで卒業したら結婚して、母や姉のような専業主婦になれると安心した。男は年収で選ぶべし! という教えは、身近な女性たちやメディアから刷り込まれた。半年後に振られて、好きな人との別れを悲しむ以上に大手企業の正社員の妻の座を失ったことを嘆いている自分が嫌になった。この先、稼ぎのいい「優良物件」の男性の好意を得る自信はないし、そんなふうに結婚を語る女性たちにも敬意を抱けない。男に値札をつける女にはなりたくないと思った。そこで経済的自立を志し、いち早く就職活動を始めた。当時の私には、なぜ女性たちがそのように考えるのかを構造的に捉える視点が欠落していた。女性の自立が困難な社会構造を問うことなく、専業主婦は打算的で怠惰な女たちという浅はかな見方をしたのだ。 男性幻想もあった。男と同じように稼げば相手の年収をあてにせず、好きになった人と結婚できる、それこそが人間らしい選択だと思っていた。永遠のケア要員として女性を選ぶ男性がいることや、自身のプライドを脅かさないような弱い女性を求める男性の心理については、全く想像が及んでいなかった。何より当時の私には、経済的な自由を手にしなければ損得抜きで人を好きになることはできないという強い思い込みがあった。
小島 慶子