東京スカイツリー併設「東京ソラマチ」内にあるフードコート「ソラマチ タベテラス」。東京の地名を冠した店が集まる、”東京感”あふれるフードコートの実力とは?
どういうことか。実は、現在の東武スカイツリーライン「とうきょうスカイツリー駅」が、かつて「浅草駅」を名乗っていた時代があるのだ。 同駅の歴史は1902年に始まっており、当時の名前は「吾妻橋駅」であった。その後、1910年に「浅草駅」へと改称。さらに1931年、現在の東武鉄道浅草駅(当時は「浅草雷門駅」)のオープンに伴い、「業平橋駅」へと名前を変え、東京スカイツリーの開業を前に、2012年にとうきょうスカイツリー駅という現在の駅名へと落ち着いた。なお、同駅と「押上(スカイツリー前)駅」とは全く別であり、少々紛らわしい。
名前の変更だけでなく、駅の役割もいろいろと変遷をたどってきた。1902年の開業当時は、東武伊勢崎線のターミナル駅という立ち位置だったものの、1904年に東武亀戸線の開通によって一時廃止。4年後の1908年に貨物駅として再び開業し、浅草駅を名乗り出した1910年には旅客駅としての営業も再開した。このころには都心部につながる路面電車も乗り入れ、交通の利便性が向上している。 下町間のアクセスや都心部へのアクセスの要衝だけでなく、物流の拠点としても同駅は大きな役割を果たしてきたとされる。駅には北十間川と結ぶドックがあり、鉄道で同駅まで運んだ貨物を舟運へと積み替え、川を伝って全国へと運んでいったという。
人と貨物のハブとして発展し、下町の顔的なエリアの1つだったが、戦後はトラック輸送が発達し、舟運の利用は下火に。東武鉄道の貨物輸送量は1961年をピークに減少し、貨物列車も1993年に廃止している。1972年には都電の「業平線」も廃止となり、徐々に下町の繁華街としての存在感を失っていったとされる。 その転機となったのは、間違いなく東京スカイツリーの開業だろう。周辺の再開発も進み、かつての下町の顔からさらに存在感を高め、今では東京の顔として知られるエリアとなった。その自らの立ち位置を意識してか、ソラマチ タベテラスには東京の地名を冠した店が数多く出店している。