頭痛・嘔吐が続き…医師「10年生存率0%、中央生存値が1年」 自分らしく生きぬいた少女の意志を父親が継ぐ
寛解そして再発
その後の治療で一度は奇跡的に寛解した春香さんでしたが、6年後の17歳のときに再発しました。 症例の少ない小児がん患者にとって「再発」は、死期が急激に迫る恐ろしいもの。しかし「春香は右手が動かなくなった時点でうすうす再発であるとわかっていたと思います」と、坂野さんは当時を振り返りました。 主治医から「再発です」と告知されたときも春香さんはそれほど驚いた様子はなく、覚醒下手術という難しい手術を受けることも受け入れたといいます。 「覚醒下手術とは、頭蓋骨を開けた状態で麻酔から覚まし、言葉をかけながら腫瘍をとるという難手術です。そのために事前検査もあったのですが、嫌がることなく、春香はすべてを受け入れて検査と手術に挑んでいきました」
術後の苦しみとともに闘う家族
治療後も様々な苦しみが春香さんを襲いました。術後の後遺症は、右半身の麻痺だけではなく、精神的な発作も起こるようになったのです。 「発作が治まっているときの春香は、普通に会話ができる状態でしたが、発作が始まるとベランダから飛び降りようとするなどの自傷行為をしました。また、長時間その発作が続くこともありました。私たち家族はどんなことがあっても春香を守ろうと決心していたので、家族で振りほどこうとして暴れる春香を何時間も抑えていました」
娘から父へ 春香さんが望んだこと
発作がおさまっているときに、春香さんは父親である坂野さんに「自分の闘病を記録に残してほしい」と頼みます。 記録をつけ始めた坂野さんでしたが、春香の言動の中には、他人には知られたく内容もあるのではないかと思い、敢えて書かなかったり、きれいな表現に書き換えたりすることもありました。 しかし、それを確認した春香さんから「事実と違う」と指摘を受け、ありのままに書き直すことにしました。 また当時、医師から「膠芽腫の再発後の標準治療は確立されていない」と伝えられていた春香さん。 「自分の治療や回復具合が、今後の患者の道標になるのではないか、と考えていたように思います。また、変わっていく自分を記録に残すことで、自分の存在を皆の心に刻んでほしいとも思っていたように感じます」