「価値はない」と言われたレテギの覚醒。「サモラーノを彷彿と…」数奇なキャリアを歩む男のストーリー【コラム】
⚫️歴代の「オリウンド」にはあの選手の名前も…
イタリア初の「オリウンド」は、スイス人のエルマンノ・アエビ。1920年1月18日のフランス代表戦で、代表デビューを飾り、トリプレッタの活躍を果たした。 それから、1963年にブラジル人のアンジェロ・ソルマーニがアッズーリ入りしてから、2003年2月12日のポルトガル代表戦で、アルゼンチン生まれのマウロ・カモラネージが出場するまで、約40年間、「オリウンド」の代表選出はなかった。 しかし、カモラネージが「オリウンド」のイタリア代表入りの扉を再び開いてからは、イタリアに血縁がある多くの選手が、イタリア代表に招集を受けた。アーセナルのジョルジーニョは57試合のキャップ数を誇り、最も出場回数の多い「オリウンド」だ。 そして、ユベントスを指揮するティアゴ・モッタも、ブラジル生まれでありながら、イタリア代表でプレーする道を選んだ一人だ。 マテオは、イタリア代表初戦で華々しくデビューを飾った。2023年3月23日のUEFAユーロ2024(EURO2024)予選イングランド代表戦で初得点。続く、同マルタ代表戦でもネットを揺らした。 こうして代表でも成果を上げ、7月26日、ジェノアへ1500万ユーロ(約24億円)の移籍金で完全移籍を果たす。
⚫️レテギがジェノアで歓迎された理由
イタリア代表FWの加入に、ジェノヴァは熱狂。街の中心、フェッラーリ広場で行われたお披露目式では平日にもかかわらず、約5000人ものサポーターが集まり、歓喜に包まれた。多くのファンは、ジェノアのアイドルでアルゼンチン生まれのディエゴ・ミリートの姿に重ね合わせ、マテオを王の戴冠式のように祝福した。 しかし、イタリアでの1年目の成績は、リーグ戦29試合で7得点。「最低でも二桁はゴールしてほしい」と要求していたアルベルト・ジラルディーノ監督、そしてジェノアー二(ジェノアのサポーターの意)の期待に応じることはできなかった。 さらに、「イタリア代表のユニフォームを死ぬまで守り続ける」と語って臨んだEURO2024であったが、一度もネットを揺らすことはできず、「史上最弱のアッズーリ」と糾弾されたチームと共にベスト16で大会を去った。 今季も当然、契約が4年残るジェノアに残留し、名誉挽回を目指すものと思われた。ところが、アタランタにアクシデントが生じ、レテギに移籍の噂が立ち上がる。