「価値はない」と言われたレテギの覚醒。「サモラーノを彷彿と…」数奇なキャリアを歩む男のストーリー【コラム】
今季ここまでのセリエAで、得点ランキングトップの11得点を記録しているマテオ・レテギ。アルゼンチン生まれのイタリア代表選手という数奇なキャリアを歩むこの25歳は、今夏加入したアタランタでなぜ得点を量産することができているのか? 指揮官のジャン・ピエロ・ガスペリーニも絶賛するその魅力に迫る。(文:佐藤徳和)
⚫️レテギが歩んできた数奇なキャリア
アタランタのストライカー、マテオ・レテギの勢いが止まらない。セリエAの11試合で11ゴールをマークし、得点王レースの首位を走る。2位のインテルのマルクス・テュラムとは、4ゴール差。PKによる2得点を差し引いても、トップであることは変わらない。今季のセリエAで最も旬なジョカトーレだ。 レテギほど、数奇なキャリアを歩んでいる男はいないだろう。何しろ生まれがイタリアではなくアルゼンチンで、イタリアのみならず欧州リーグでもプレーの経験が一度もないまま、イタリア代表招集を受けたのだから。 1999年4月29日、ブエノス・アイレス州サン・フェルナンドで生を受けたが、リグーリア州セストリ・レバンテ出身の父方の祖父とシチリア州カニカッティー出身の母方の祖父を祖先に持つことから、イタリアのパスポートを所有。このため、2023年3月7日、ストライカー不在に悩まされていた当時のイタリア代表監督、ロベルト・マンチーニが代表入りを要請した。 「我々に足りなかった資質を備える選手だ。しばらく前からレテギの動向を追っていたが、彼はイタリア代表を拒否すると思っていたんだ。だが、彼は『イタリア代表に入ります』と即答した」とマンチーニ。監督自身も驚きの回答だったことを明かしている。
⚫️なぜレテギはイタリア代表入りを決めたのか?
一方のレテギは、「その頃、リーグで得点を重ねていたから、正直なところアルゼンチン代表から声がかかるのではないかと思っていたけど、そのようなことはなかった。連絡があったのは、マンチーニ監督からだった。一瞬たりとも考えず、『Sì(はい)』と答えたよ」 レテギは、幼少期にフィールドホッケーとサッカーの両方を並行しながらプレーしていた。その理由は、父親のカルロスがフィールドホッケーの元アルゼンチン代表選手で、男子、女子、ユース男子の監督を務め、2016年にはリオオリンピック(五輪)で男子チームを率いて、金メダルに導いた実績を誇る人物であるからだ。 偉大なアスリートである父のDNAを受け継ぐマテオは、やがてサッカーに専念し、2つの名門、リーベル・プレートとボカ・ジュニオルスの下部組織に所属。 19歳の時にボカでプロデビューを飾ったものの、出場機会は1試合に留まり、エストゥディアンテス、タジェレスへと期限付き移籍で渡り歩き、2022年に同じく期限付き移籍で加入したティグレで才能が開花。1シーズンに19ゴールをマークした。 ここでの活躍が、大西洋を越えてマンチーニの元に届き、イタリア代表入りにつながった。 レテギのようにイタリア国外生まれで、イタリアにルーツを持ち、イタリア国籍を取得してアッズーリのユニフォームを身に纏った選手は過去にもいる。いわゆる「オリウンド」と呼ばれるプレーヤーだ。