上田誠仁コラム雲外蒼天/第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」
関東学連の上田誠仁駅伝対策委員長(山梨学大顧問)による特別連載コラム。これまでの経験や感じたこと、想いなど、心のままに綴っていただきます! ********************** 桜の開花予報が伝えられるこの季節は、年度末であり卒業のシーズンだ。 上田誠仁コラム雲外蒼天/第42回「スポーツの世界における“矛と盾”~切磋琢磨の末に生まれる新時代の息吹~」 教育現場に籍を置けば、人生の節目でもある卒業生に対し、惜別と激励の言葉を述べなければならない。ともに過ごした年月を回顧しつつ、卒業生に対する思い出が甦ってくる。 “指導”という言葉は“指を指し示して導く”という意味だろう。それと知りつつ、実際に指を指し示してみると、自分自身に指が3本向いていることに気づかされる。 「惜別と激励の言葉にふさわしい指導ができたのか?」 自問自答を繰り返す。 新入生を前に、これからともに歩んでいく希望や信念を語るのとは趣が異なる。それでも過去を振り返り、これから社会人として一歩を踏み出す彼らに花向けの言葉を述べなければならない。 冬の寒さに厳しさを知りたるがゆえに 春の到来をことのほか喜び 夏の暑さに挫けそうになりながらも 秋の訪れに心が和む 四季折々の美しさや厳しさ、春夏秋冬それぞれの季節がくっきりと彩られる中で、花鳥風月をともとして過ごされてきた卒業生諸君。それぞれの学び舎で、君たちはどのようなことを学んだだろうか。どれだけ心のフィールドを広げてきただろうか。 毎年手帳に書き込む好きな言葉の1つに、『春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む』がある。江戸時代の儒学者・佐藤一斎は、人としての生き方を短い言葉の中に表している。 「春風を以て……」 春の日に優しく吹く風のように人と接することは、人の世を生きていくうえでとても大切なことだろう。優しさは厳しさの中にあって、心を広く深く育ててきた人が持つ財産だから。 それゆえに 「秋霜を以て……」 厳しい寒さに向かう季節を告げるかのような秋の霜のように、自らを厳しく見つめることが肝要なのだと締めくくっている。 競技者として自己の限界に挑み、ライバルとの勝負に集中する程に、波立つ気持ちやささくれた感情を制御しきれず、苛立ちや怒りをどこに持って行けば良いのか途方に暮れた経験があるはずだ。競技に真剣に取り組むからこそ、他者に厳しく自分に甘き人の弱さに気づかされる。自らを厳しく律し、人には思いやりを持ち続けることの難しさは、嫌というほど思い知らされてきたことだろう。 それでも陸上競技者として喜怒哀楽の経験を重ね、困難苦難を乗り越えた経験があればこそ、本当の優しさとはどのようなものかに気づき、無意識に行動は伴ってくると信じている。 陸上競技に明け暮れた4年間。速さだの強さだのと言ったところで、人生の一瞬の出来事に過ぎない。肝心なのは、君たちがこの先どのように人と関わり、生きていくかということだろう。 そして、忘れてはならないことがある。君達が入学した2020年は、コロナパンデミックによる感染症対策の真っただ中にいたことだ。 人と関わりつつ生きてゆくことの大切さを語っておきながら、感染症対策の日々はそれとは真逆の生活を余儀なくさてきた経験がある。世界的な感染症の蔓延が私たちに与えた衝撃は余りにも大きく、あらゆる生活様式の規制があった。さらには、大会や行事の中止・延期に対する慟哭(どうこく)があったことだろう。ぶつけようのない怒りを内に秘め、日々を過ごすしかなかったことと思う。 だからこそ君たちは、人と関わり、人として生きるとはどのようなことなのかを深く考えさせられたはずだ。 陸上競技を通じて経験した喜怒哀楽の思い出は、単なる思い出としてではなく、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」の言の葉が持つ意味を、深く知る社会人として歩んでいってほしいと願っている。