上田誠仁コラム雲外蒼天/第43回「春風を以て人に接し、秋霜を以て自らを慎む」
3月で関東学連の駅伝対策委員長を卒業
【追記】 今年の箱根駅伝後に神奈川大学監督を勇退し、4月から総監督となる大後栄治氏。昨年3月末で駒澤大学監督を勇退し、現在は総監督としてトップ選手の指導にあたる私と同年代の大八木弘明氏。お二人とも、長らく箱根駅伝というステージでともに切磋琢磨してきた盟友である。 ※編集部注・・・1990年代後半には、そろって駅伝で優勝候補に挙げられたことから、それぞれの大学の頭文字を取って「YKK(山梨学大・神奈川大・駒大)」と呼ばれた お人柄もタイプの違いこそあれ、“春風秋霜”を指導に実践してこられたことは疑う余地がない。 大後氏は、初代を担った青葉昌幸氏の後継として、関東学連の駅伝対策委員長を2014年まで務められた。私がその後を引き継いだこともあり、感慨もひとしおである。 大八木氏は、田澤廉選手(トヨタ自動車)など一部の卒業生の指導を引き継ぎ担い、世界を目指して有言実行に努めておられる。 お二人には尊敬すべき指導者として多くの刺激を与えていただいた。箱根駅伝を一つの大きな終着駅かつ乗換駅としてチームを育成し、選手に熱き情熱を傾けた監督が、箱根路を卒業するのは一抹の寂しさを感じる。 しかしながら、まだまだその後ろ姿には迸(ほとばし)るエネルギーを感じる。 私は2019年に山梨学院大学の駅伝監督を退いて以来、駅伝チームとは距離を置く立場となったが、駅伝対策委員長として駅伝競技の大会運営の一端に関わらせていただいた。 特に大会の準備・運営で関係各所でのご苦労の深淵を知ることができた。そのことは箱根駅伝をこよなく愛する一人として、さらに慈しみが増したと言える。 今年度限りで駅伝対策委員長も卒業となる。多くの方々に支えていただいたことに感謝の念でいっぱいである。残された本学在籍期間は、中距離コーチとして選手とともに歩みを進めることに情熱を傾けたい。 「春風秋霜」を糧として。 上田誠仁 Ueda Masahito/1959年生まれ、香川県出身。山梨学院大学スポーツ科学部スポーツ科学科教授。順天堂大学時代に3年連続で箱根駅伝の5区を担い、2年時と3年時に区間賞を獲得。2度の総合優勝に貢献した。卒業後は地元・香川県内の中学・高校教諭を歴任。中学教諭時代の1983年には日本選手権5000mで2位と好成績を収めている。85年に山梨学院大学の陸上競技部監督へ就任し、92年には創部7年、出場6回目にして箱根駅伝総合優勝を達成。以降、出雲駅伝5連覇、箱根総合優勝3回など輝かしい実績を誇るほか、中村祐二や尾方剛、大崎悟史、井上大仁など、のちにマラソンで世界へ羽ばたく選手を多数育成している。2022年4月より山梨学院大学陸上競技部顧問に就任。
月陸編集部