生成AIはコンテンツビジネスを「殺す」のか? 「職能価値低下」の末路
多くの「普通の人」は生成AIを受け入れている?
もう1つ、むしろ受け手の側が「どこかで見たことのある無難な75点」を積極的に求める側面にも留意する必要がある。 「人間って、まったく見たことのない映画とか小説はわりと拒絶して、全体の何割かはどこかで見たことのあるものを求めますし、そこに安心感を抱きます。僕が脚本を書くときも、すべてを見たことのない要素の組み合わせにはしません。多くの人に馴染みのある要素を必ず複数入れ込みます。そうしないと共感が生まれません。新しい企画って、何もかもすべてが新しいわけではなく、既存のアイデアの組み合わせの結果なんですよ」(小林氏) 小沢氏は別の観点からこう指摘する。 「Webのエッセイ系マンガの中には、ストーリー漫画をやってる人間からしたら、一見、え、それでいいの? というものもあります(笑)。でも、実際その作品のビューは伸びているし、いいねもたくさんつく。あまり描き込まず、さらっとした線で、時代に沿った題材がスピーディーに描かれているものにニーズがあるのは確かですし、慣れてきたらそっちのほうも面白くなってきたりするじゃないですか。そこは優劣じゃなく幅が広がった部分です」(小沢氏) さらに小林氏が感じるのは、「視聴者の多くが作り手の名前など気にしていない」ということだ。同氏が教鞭をとっている日本大学芸術学部の映像学科ですら、脚本家や監督の名前を意識しないで作品を観る学生が増えているという。 「自分の好きな作品はあっても、好きな脚本家や監督で作品を追いかける学生が昔に比べて減りました。一般の観客にとっては、なおのことそうでしょう。だから、ある映像作品が『実はAIで作ってました』とあとで暴露されても、多くの人は『へえ』で終わってしまうと思います(笑)」(小林氏) Xなどでは「反・生成AI」勢のポストが時おり気を吐く。特定のイラストの「生成AI使用疑惑」を指摘し、糾弾するのだ。さしずめ「天然出汁が大事、味の素はダメ」の理屈か。とはいえ、動画にしろイラストにしろ、「企業が広告に生成AIを使う事例も増えましたし、大半の普通の人は、特に気にせず受け入れているのでは」と小沢氏。大筋で、小林氏と見解が一致している。 生成AIがコンテンツ市場へさらに入り込む環境は、すでに整っている。