廣岡達朗コラム「森祇晶は私でなければ使いこなせない 巨人OBが他球団の監督で失敗する理由」
横浜で失敗した森
森に話を戻すと、彼が勘違いしたのは、2001年に横浜(現DeNA)の監督に就任したとき巨人のやり方を打ち出したことだ。結果として失敗した。 森祇晶は私でなければ使いこなせない。かつて彼に「人間には長所と短所がある。長所を伸ばして短所を直してやれ」と言ったところ、「僕がそういうことができないことを知っているのに……」と苦笑いした。 巨人の厳しい生存競争を勝ち抜いてきた森は、私が去った後の西武のように出来上がったチームを運用するのは上手だったが、弱いチームを教えて強くする術がなかった。巨人出身のOBが他球団の監督になって失敗する理由はここにあるのだ。 ●廣岡達朗(ひろおか・たつろう) 1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。 『週刊ベースボール』2024年12月30日号(12月18日発売)より 写真=BBM
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