廣岡達朗コラム「森祇晶は私でなければ使いこなせない 巨人OBが他球団の監督で失敗する理由」
本気で叱ってくれる人のほうが親切
先週号で堀内恒夫が、11月30日に東京ドームで行われた巨人創設90周年セレモニーの場に私と森祇晶がいなかったことに言及していた。「巨人の伝統と歴史とは何か。勝つためには何をなすべきか。2人に聞いてみたかった」とも書いていた。 【選手データ】森祇晶 プロフィール・通算成績 私は巨人で本当の野球を教わった。 川上哲治さんには徹底的にいじめられた。つまり、こいつに自分より上に行かれては困ると思われ、要注意人物扱いされたのだ。川上さんは自分を慕ってついてくる選手をかわいがった。私が「カワさん」と近づいても疑いを抱いていた。 それでも巨人で13年間お世話になることができた。ある年、川上さんは私をトレードで放出しようとしたが、オーナーの正力松太郎さんが「かくも巨人を愛する廣岡を出すことはまかりならん」と止めてくれた。球団社長だった品川主計さんしかり、フロントに物事の本質を見極められる人がいたのは幸いだった。その後、巨人を退団した私は川上巨人より上に行こうと世界を一人で回って野球を勉強した。1983年の日本シリーズでは巨人を倒した。私が今日あるのは、反骨心に火をつけてくれた川上さんのおかげである。 こうしてみると本当のことを率直に言ってくれる人のほうがゆくゆくは自分のプラスになる。一般の社会でもそうだと思うが、調子の良いおべんちゃらを言ってくる人間ほど裏で何を考えているか分からない。「お前、何をやっているんだ。そんなんじゃダメだ」と本気で叱ってくれる人間のほうが親切である。 われわれの時代の巨人では、まともなことをやっていたらレギュラーになれなかった。正捕手の森は自分の座を脅かすライバルを次々と差し向けられると、あの手この手を使ってでも蹴落としていった。人の好い藤尾茂などは左翼に追いやられた。それだけ巨人でレギュラーを張るというのは厳しかった。
うるさ型のコーチも必要
来季から巨人はキャプテン制度を廃止するという。リーダーシップがあるベテランがいれば、キャプテンという名前の下にしかるべき責任をもたせる必要がある。それに値する選手がいないから廃止したのだ。岡本和真がやるなら、キャプテンなどいないほうがいい。キャプテンがいなければ監督は自由にやれる。 キャプテンではないが、私もヤクルト監督時代に森からヘッドコーチの肩書きを外そうとしたことがあった。各コーチの活発な議論を促したかったからだ。すると森は「ヘッドコーチを外されたら困ります。コーチにモノが言えなくなる」と拒んだ。私はコーチ人事案を白紙に戻した。 監督からすればヘッドコーチがいないほうが本当は楽なのだが、森を据え置いたのはよかった。彼には卓越した戦略眼があった。今とは違う先発完投の時代。先発が打たれそうになると、彼は先回りして次に準備している投手を適確に伝えてきた。 巨人の二岡智宏ヘッド(兼打撃チーフ)コーチなども監督の後ろでニヤニヤしている場合ではない。誰も見ていないところで、阿部新之助監督にいろいろ直言すれは監督も鬱陶しく感じるだろう。しかし、うるさ型のコーチも必要。そういう存在がいるから監督は勉強になるのだ。