中国誕生から75年…国歌から見える「日本は絶えず意識し続ける存在」
■鄧小平時代の蜜月から袂を分かった合弁事業 中国の75年間を振り返ると、3人の指導者それぞれの時代に分けられる。1人目は建国の父・毛沢東。2人目は1970年代末から改革開放政策を推進した鄧小平。そして3人目は、現在の習近平主席。習氏は自らを、毛沢東、鄧小平の先代2人と並ぶ存在に位置づけようとしている。 高度経済成長に導いた鄧小平時代の中国には、多くの日本人がイメージをもっているだろう。鄧小平は中国の遅れを認め、「日本国民に学びたい」「日本を手本にしたい」と言っていた。そういう中、日本も中国に手を差し伸べた。日中友好の象徴の一つが、上海にある宝山製鉄所だ。山崎豊子さんの小説「大地の子」でも知られる、中国で初めての近代製鉄所だ。鄧小平が望んだように、建設から技術指導まで、新日鉄(現・日本製鉄)の全面協力で、1985年に稼働した。 ところが今年7月、日本製鉄は宝山側との合弁事業から撤退すると発表した。ここ数年は、日鉄が特許侵害で宝山を提訴するなど、ライバル関係になっていた。かつての蜜月から袂を分かつのは、今の冷え込む日中関係を象徴しているかのように思える。習近平指導部は、日本の支援が中国経済発展の契機になったことを忘れたのだろうか。 さらに前、1989年の天安門事件の際。孤立した中国に、ほかの主要国に先がけて、国際社会への復帰を働きかけたのも日本だった。その日本に、主要国も追随した。中国は再び成長の道を走り始める。 中国が年間のGDP(=名目国内総生産)の実額で、初めて日本を抜いたのは2010年。GDPで日本を追い抜くのは「俺たちの方が大きい。デカい」と中国人の自尊心を高める材料になった。「日本を手本にしたい」という思いより、「日本は下だ」という転換点だったかもしれない。 ■25年後に「中華民族の偉大な復興」を成し遂げる? 胡錦涛政権を経て、現在の習近平時代になった。習近平主席は「中華民族の偉大な復興」をスローガンに掲げている。復興とは「一度衰えたもの、壊れたものが、再び盛んになる、整った状態になる」こと。つまり、中華民族は、アヘン戦争以来、列強に蹂躙され、踏みにじられてきた。もちろん、国の力は十分に高まったが、習近平主席の意味する「偉大な復興」は、いまだ成し得ていない、世界に冠たる王朝、帝国の復活を、という認識なのだろう。