久留里線の利用者が激減した3つの理由! 輸送密度“9割減”も、地元からは「廃止阻止」の声 廃止問題に対する議論は十分だったのか
久留里線が示す地方鉄道の存続課題
久留里線の歴史を簡単に振り返ると、1912(大正元)年12月18日に千葉県営鉄道久留里線として木更津~久留里間が開業したのが始まりだ。その後、鉄道敷設法(大正11年法律第37号、大正11年4月11日公布)の別表第48号に 「千葉懸木更津ヨリ久留里、大多喜を經テ大原ニ至ル鐡道」 として予定線に挙げられ、1923年9月1日に国有化された。1930(昭和5)年4月1日には木原線として大原~大多喜間が開業し、1934年8月26日には上総中野まで延伸された。そして1936年3月25日には久留里線が上総亀山まで延伸開業したものの、上総亀山~上総中野間が結ばれることはなく、木更津~大原を結ぶ木原線の実現は果たせなかった。 その後、久留里線は最初に開業した木更津~久留里間だけが残る形となったが、存続しているこの区間も利用者数の減少が顕著だ。1987年度の1日輸送密度は4446人だったが、2023年度には1072人にまで減少し、75.9%の激減となっている。久留里線に限らず、房総半島の内陸部や南部を結ぶ鉄道はどの路線も利用が低迷し、大幅な減少傾向にある。このまま何の対策も講じなければ、存続の危機が訪れるのは避けられない。 人口減少社会では、地域鉄道を守るには行政の地道な取り組みが欠かせない。沿線自治体が鉄道活性化に向けた取り組みを十分に行っているか、今一度点検する必要がある。久留里線のような状況になってからでは手遅れだ。
大塚良治(経営学者)