藤井聡太に挑戦中「豊島将之九段」が“人”との練習やめた訳 “孤高の努力家”が「棋聖」となるまでに行ったこと
豊島にその頃の気持ちを聞いた。 「余裕というか……(タイトルに縛られるのは)もういいかなと思っていたかもしれません(笑)。やれることをやって、どうなるか。それでダメならしょうがないという気持ちでした」 ■これまででいちばんつらかった時期 棋聖戦第5局は、東京都千代田区にある都市センターホテルで行われた。午後になると羽生の偉業達成を期待する取材陣が集まり始めた。多くは普段、将棋の取材にかかわらない一般マスコミである。
夕刻、羽生が頭を下げた姿がモニターに映る。投了の瞬間、豊島の胸に去来したのはうれしさよりも「長かった。ホッとした」という気持ちだった。28歳になっていた。 将棋連盟の広報が取材陣を順に対局室に誘導する。100期達成ならば先を競ったであろう記者やカメラマンも、穏やかに指示に従う。 筆者は最後のほうに入室した。ストロボが光る中、下座に座る姿が目に入った。その背中が、大きく感じられた。 こんなにも逞しかったか……。
豊島を間近で見たのは、電王戦以来4年ぶりだった。どれだけの葛藤を乗り越えてきたのだろう。儚げだった青年の面影はなかった。 記者会見が始まる。豊島は運営の指示に従って動いた。記者が自分を「棋聖」と呼ぶ声が聞こえた。いくつかの質問に答えた後に「これまででいちばんつらかった時期は?」と聞かれる。 「25歳からいままで」 ためらわずに言った。豊島が笑顔を見せると、口元に八重歯が覗いた。
野澤 亘伸 :カメラマン/『師弟~棋士たち魂の伝承』著者