京都の夏の風物詩「祇園祭」きっかけは疫病の流行だった
1150年の伝統があるといわれる京都「祇園祭」。そのハイライトとなる山鉾(やまほこ)巡行が新型コロナウイルスの感染拡大を受け中止されることが発表されました。毎年7月に行われ、京都の夏の風物詩ともいわれる祇園祭とはどんな祭りで、どんな歴史があるのでしょうか。 【中継録画】京都・祇園祭「山鉾巡行」中止を発表 新型コロナ感染拡大で
鉾と神輿で疫病の退散を祈る
八坂神社のサイトなどによると、祇園祭は同神社の祭礼で、古くは祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれました。 というのも、祇園祭が始まるきっかけとなったのは「疫病」だったのです。 平安時代の前期、京の都をはじめ、日本各地に疫病が流行しました。その際、869(貞観11)年に平安京で行われた御霊会が起源だとされています。 御霊会では、平安京の庭園だった神泉苑に、大和や伊勢、武蔵といった当時の律令国の数にちなんで66本の鉾(ほこ)を立て、さらに牛頭(ごず)天王(=素戔嗚尊、すさのおのみこと)といった祇園の神をまつって神輿を送り、災厄の除去を祈ったといいます。
「応仁の乱」で中断もあった
祇園祭は平安時代の中頃から規模が大きくなり、空車(むなぐるま)に田楽、猿楽なども加わりました。室町時代には、町ごとに特色ある山鉾が巡行するようになったようです。 しかし、11年間にわたる戦乱で京の町を荒廃させた「応仁の乱」(1467~1478年)の頃には中断されることに。それから1500(明応9)年に復活すると、山鉾巡行の順位を決める「くじ取り式」が行われることになったといいます。 それ以降、町衆によって山鉾の装飾も豪壮華麗になっていきました。山鉾は火災で度々焼失しましたが、その都度再興し、現在に至っています。 今でこそきらびやかさに魅了される山鉾ですが、本来は疫病などの災厄をもたらす疫神を鎮めるために鉾や山をつくり、町中を回ったと考えられています。
1か月間の祭礼、見どころは山鉾巡行
祇園祭は1か月にわたる長い祭りです。2020年は新型コロナウイルスの影響で、最大のハイライトである山鉾巡行が中止されることが決まりましたが、例年の日程では、前祭(さきまつり)の山鉾巡行は17日、後祭(あとまつり)の巡行は24日に行われ、宵山行事は前祭が14日から16日まで、後祭は21日から23日までとなっていました。 山鉾巡行が行われる17日には、神幸祭、神輿渡御があり、同じく24日には花傘巡行、還幸祭が執り行われるのが通例ですが、今年はさらに神輿渡御が中止になり、その他の神事も縮小されることになりました。