「ここはろくでもない人の集まりではないか」…倒れた父親のために実家に戻った、37歳「介護職の男性」の絶望
倒れた父親のために実家へ戻った
介護職の低賃金、重労働が社会問題化されてから久しい。 相互扶助に基づく社会制度として2000年4月に始まった介護保険は、当時は画期的な政策として注目を浴びていた。 【マンガ】5200万円を相続した家族が青ざめた…税務署からの突然の“お知らせ” それまでは税金を財源に国が介護者を支援する「公助」であったものの、きたる超高齢化社会に向けてその一部が民間に渡され、介護や福祉の基礎がない人が”ビジネス感覚”で施設を経営。一部の施設内での入所者への虐待や長時間労働が多発し、後を絶たない。 加えて現在は、ヤングケアラーの存在や、介護離職、介護難民、また、50代の無職の子どもの生活を80代の親が支える8050問題も顕在化されており、介護をめぐる様々な問題がいまだ山積している。 もともと勉強は好きではなく、人と関わる仕事、人の役にたてる仕事がしたくて介護職を選んだという男性、カズさん(仮名・37)も、想像以上に仕事は大変で、特に排泄物の処理はほんとうに嫌気がさすと言う。 カズさんには恋人がおり結婚もしたいが、収入は25万円程度で仕事がハードで副業もできず昇給もさほど見込めない。一生こんな安い月給かと、転職しようかとあれこれ迷いながらも、八方塞がりの状況から抜け出せない状態が続いていると話す。 「もともと、家族や親せきが仲良くて、特に、近くに住むおじいちゃんのことが大好きだったんです。おじいちゃんはブドウ農家でね。 毎週末のように家族で遊びに行っては、ブドウの箱詰めのお手伝いなどをしていたんです。それだけに、小学6年生の時におじいちゃんが肺がんで他界したときにはショックでね。いつしか、おじいちゃんのようなお年寄りたちの役にたつ仕事をしたいと思うようになったんです」 のどかな地方都市に住むカズさん(仮名・37歳)は、地元の高校を卒業後に関東の福祉系専門学校に進学。卒業後にいちどは都内の老人ホームで働いたが、2年後に実家のある地方都市にUターン転職した。 「僕はひとりっこなんです。一度は都内で働いてみたくてそうしましたが、父が脳梗塞で倒れましてね。当時、父はまだ55歳。幸いにも軽症だったので家に戻れて仕事にも復帰しましたが、専業主婦の母にとっては、父の介護は精神的にかなりつらかったみたいです。それでちょうど、実家近くの老人ホームで募集があると聞いて、Uターンすることにしたんです」 カズさんの父親は、家電メーカーの営業マン。体力のいる仕事のため、脳梗塞から復帰後も身体がきつくて大変そうだったそうだ。 「実家に戻った頃は、まだまだ新米だったので、仕事を一人前にできるようになりたいという思いで必死でした。 入所者の方たちに提供する食事や薬を間違えそうになって先輩から思いっきり怒られたこともありました。でも、間違えたら命に関わることですし、怒られて当然のことと思っていましたよ、当時はね。でも次第にね、なんとも理不尽なことの多い職場だなあと思うようになったんです」 その施設は残業代がつかない長時間労働が普通。先輩が、自分のミスをカズさんのミスとして上司に報告することもあった。 「まあ、ご想像どおり、人手の足りない職場ですからね。それほどいい人材ではなくても雇わざるを得ないという施設の事情もあります。こう言ってはなんですが、変な従業員も多いんです。自分のミスを人のせいにする、労働時間なのに平気で休憩所で寝てしまう、業務日誌には、やっていないことをやったと書く……。 そんなこと、小学生でもしてはいけないことってわかることじゃないですか? それを平気でする人が少なくない。まだ新人のときには自分のことに無我夢中で見えていなかったことも、次第に見えるようになってきたんです。ほんと、ここはろくでもない人の集まりではないかと悩むようになりました」 …つづく<貯金ゼロ、年老いた両親を抱え、結婚もあきらめた…37歳「介護職の男性」の苦悩>でも、さらに深い悩みを吐露します。
安藤 房子(作家・恋愛心理研究所所長)