杏さんが映画『かくしごと』で演じた直球の母性。「このタイミングなら演じられると思いました」
拓未役の中須翔真さんには、子役ながら、共演していてある種の畏怖さえ感じる瞬間もあったとか。「ラストについて詳しくは言えないんですけど、実際に演じるまで、そのシーンで感じる拓未への思いは愛おしいとか哀しいとか、そういう温かいものだと思っていたんです。それが現場で翔真くんの表現を目の当たりにして、背中に雨だれがヒュッと落ちてきたみたいな、ちょっと逃げ出したくなるような末恐ろしさを感じてしまい。やっぱり、この作品はミステリーなんだなと」最初に脚本を読んだ時は、「すごく難しいシチュエーションの役だけど、今の私だったらできるかもしれない」と感じ、オファーを引き受けたという。「36年生きてきて、また母親として数年が経った今感じるのは、年を重ねると感情が豊かになり、幅も広がってくるということ。涙もろくなるし、感動もするし、怒りもある。役者としても場数を踏んできたこのタイミングなら、演じられるのではと思いました。実は近年、役を演じる上では、自分が母であることを押し出しすぎない方がいいかなと思い、母親じゃない役を選んできたんです。ここであえて直球の母性に取り組んだのは、脚本がすごく面白いのでやってみたいというその一心からでした」
役を無理に自分自身に引き寄せることはしない。独立した個人として尊重するのが、杏さんのスタイルだ。「役との出会いはいつもなんかこう、友人が増えるみたいな感覚。友人に対して、わざわざ似ている部分を探すことはあんまりないですよね? だって、その人はその人だから。それと同じで基本的に、役と似ているかどうかは考えたことがありません。自分の体を使って演じてはいるけど、私とは違う人だっていう認識です」撮影期間中はシリアスなシーンが多く、2日に1回くらいは泣いていたそうだが、それもあくまで千紗子の涙であって、「私の涙ではないです」と念を押す。「テクニックで流している涙ではないというか。泣く時の気持ちを私なりに噛み砕くと、ただ悲しいからというより、過去にいい思い出があって、それが失われるからだと思うんです。楽しいとか嬉しい経験が根底にあった上で、今それを追い求めて叶わないと、涙になる。自分自身を振り返ってもそうだなって。だから撮影に入る前に、そういう千紗子の大切な思い出をいくつも妄想して、膨らませておきました」 「泣くのはただ悲しいからではなく、楽しい過去が失われたから」。“楽しい”や“嬉しい”が基準になっているところに、杏さんならではの健やかな感性がにじみ出る。「どうしてあんなに泣いたのかも思い出せないけれど」、という歌い出しの主題歌「tears」は、国内外で支持されているオルタナティブロックバンド、羊文学による書き下ろしだ。「『大丈夫だよ』と足どりを軽くしてくれて、希望が持てる曲だと思いました。ストーリーが終わった後、台詞のないワンカットを挟み、曲が流れるエンドロールが始まるんですが、前向きに未来に進んでいけるようなテンポが心地いいです。重すぎない気持ちで劇場を後にできる感じがしました」